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出典検索?: "瑞龍寺" 岐阜市
瑞龍寺
総門
所在地岐阜県岐阜市寺町19
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分10.9秒 東経136度46分01.2秒 / 北緯35.419694度 東経136.767000度 / 35.419694; 136.767000座標: 北緯35度25分10.9秒 東経136度46分01.2秒 / 北緯35.419694度 東経136.767000度 / 35.419694; 136.767000
山号金寶山
宗派臨済宗妙心寺派
本尊薬師如来
創建年応仁2年(1468年)
開山悟渓宗頓
開基斎藤妙椿
中興年文化3年(1806年)
中興隠山惟?
正式名金寶山瑞龍禪寺
(金宝山瑞竜寺)
別称中林寺
厚見寺
文化財厚見寺跡・土岐成頼墓・悟渓国師墓(岐阜県指定史跡)
公式サイト ⇒瑞龍寺
法人番号5200005000623
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瑞龍寺(ずいりょうじ)は、岐阜県岐阜市寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。 山号は金寶山。 臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり、雲水(禅の修行僧)の修行の場である。 総門を入ると参道の右に瑞雲院、鶴棲院、臥雲院。左に、天澤院、開善院、雲龍院の6つの寺(塔頭)がある。一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。 境内には、斎藤妙椿(斎藤利藤とは別人が有力)、土岐成頼、悟渓国師の墓がある[注釈 1]。 元々、この地には飛鳥時代より、中林寺、厚見寺などと称した寺院が存在し、その後廃寺となっていたという[注釈 2]。 応仁2年(1468年)、美濃国の実権を握る斎藤妙椿が、美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山。寺号瑞竜は成頼の法号に因む。[6]後花園上皇より、山号の勅額を賜る。文明2年(1470年)に七堂伽藍が完成し、土御門天皇により、準十刹に列せられる。美濃国尾張国を中心に、東海派禅門の古道場として知られていたという。 延享4年(1747年)に輪住制が途絶え、一時荒廃するが、文化3年(1806年)、白隠慧鶴の孫弟子にあたる隠山禅師により再建され、その際に僧堂を設ける。 1891年(明治24年)の濃尾地震で被害を受ける。1945年(昭和20年)の岐阜大空襲により焼失する。その後、順次再建されるが、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風で損害を受ける。その後も再建が続けられる。 1992年(平成4年)に本堂が改築され、2005年(平成17年)に耐震補強工事が行われて新聞などにも取り上げられた。 専門道場のため普段は非公開であるが、毎年3月上旬のぎふ梅まつり
概要
沿革
塔頭
瑞雲院:悟渓下八哲の一人、天縦宗受が開山。3世は虎哉宗乙。江戸時代に入って無住となるが、元禄年間に丈岩和尚により中興される。2021年(令和3年)漏電による火災で建物と資料の一部を焼失した。
鶴棲院:悟渓下八哲の一人、独秀乾才が開山。寛政3年(1791年)より隠山惟?が住持を務めた。岐阜市の史跡に指定されている同禅師の墓所、隠山円照禅師墓がある。
臥雲院:悟渓宗頓の法孫、関市津保の天祥寺の燈外宗普により徳隣院として天正8年(1580年)ごろに開かれる。慶長14年(1609年)に現在地に移転し、臥雲院と改称した。境内には土岐政房の後室の墓と伝えられる「貞室祥 臻禅尼、明応七戊午正月一日」銘の連結五輪塔、江戸時代後期の画家の高橋杏村「老人高九鴻 居士」の石碑がある。1872年(明治5年)に上加納村民の依頼で院内に「徹明塾」を開校。岐阜市立徹明小学校の創設の地でもある。
天澤院:悟渓宗頓の法孫、天瑞和尚が開山。享和元年に改称して現在の寺号となる。再興後は隠山和尚が住持となり、以降明治24年(1891年)まで僧堂としての役割を担っていた。
開善院:悟渓下八哲の一人、興宗宗松が開山。斎藤妙椿菩提所。慶応3年(1867年)妙心寺天球院の薩門により中興されている。岐阜市指定文化財の紙本著色斎藤妙椿像を所蔵する。
雲龍院:悟渓下八哲の一人、寿岳宗彭が開山。
その他
所在地
岐阜県岐阜市寺町19
交通アクセス