閨閥(けいばつ)とは、外戚(妻方の親類)を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係、又はそれから成す勢力、共同体、仲間などを指す[1][2]。もともとは中国語で「閨」の意味は夜、寝るための部屋のこと。婚姻は政略結婚[注釈 1]も含み、政界、財界、官界さらには王室、貴族に属す一族が自身や血族の影響力の保持および増大を目的に、婚姻関係を用いて構築したネットワークを門閥(もんばつ)と呼ぶこともある[3]。
ここでは便宜上門閥も含めた広義の閨閥について解説する。 ヨーロッパでは各国の王室や貴族との間の政略結婚が古くから行われており、現在にいたるまで複雑な血縁関係が形成されている。英仏関係に見られる閨閥[4]や英独露三帝閨閥のように、これはしばしば国境を越える。三帝閨閥をホーエンツォレルン家の系図から1親等ずつたどってゆき、最初に戻ってくるように書く。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)、ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)、フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)、ヴィクトリア (ドイツ皇后)、ヴィクトリア (イギリス女王)、エドワード7世 (イギリス王)、アレクサンドラ・オブ・デンマーク、クリスチャン9世 (デンマーク王)、マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)、アレクサンドル3世、アレクサンドル2世、アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)[5]。 アメリカ合衆国では王室や貴族制度がない。そこでまずボストン等で富裕な旧家同士が通婚するようになり、やがて有力政治家とも姻戚関係をもつようになった[注釈 2]。国連の合衆国要人は軍需産業やジャーナリズムと家族関係にあった[6]。 中国・台湾では四大家族が勢力を振るい、現在の国際関係に影響を残した。 摂関政治を筆頭に、古来から皇室を中心にした政略結婚が広く行われている。藤原道長が娘達を次々に皇室に輿入れさせ、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ事はよく知られている。 武家政権が成立してからは、武家同士、あるいは武家と公家との間に政略結婚は広く行われた。前者の場合、勢力の保持、増大が目的であり、後者では勢力の補完に主眼がおかれているといえる。江戸時代には武家と公家との間の婚姻が将軍家、有力大名家と天皇家、宮家、五摂家などの有力公家との間にさかんに行われ、それぞれの影響力の補完が行われた(NHKテレビの大河ドラマでも主人公である主君に対し家臣が「美しき流れにお乗りなさいませ」と進言するシーンがあった。この“美しき流れに乗る”は天皇家に繋がりを持つ事を意味する)。 明治時代に入ると、華族制度が成立した。華族には公家華族、大名華族、勲功華族などあり、それぞれが格式や実力などに強み弱みがあったため、それぞれを補完するための通婚が行われた。華族は皇室の藩屏なので当然、天皇家、宮家を巻き込んだものとなった。また富国強兵、殖産興業の結果現れた資本家や高級官僚も、格式や政治力を得るために華族との通婚を望み、経済的、政策的な支援が期待できることから華族も資本家や高級官僚との婚姻による関係強化を望んだ[7]。
世界的な閨閥
日本の場合