長野電鉄株式会社
Nagano Electric Railway Co.,Ltd.
長野電鉄本社が入居する権堂イーストプラザ
種類株式会社
略称長電(ながでん)、NER
本社所在地 日本
〒380-0833
長野県長野市権堂町2201番地
権堂イーストプラザND 4階
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度39分12.5秒 東経138度11分33.3秒 / 北緯36.653472度 東経138.192583度 / 36.653472; 138.192583
長野電鉄株式会社(ながのでんてつ、英: Nagano Electric Railway Co.,Ltd.)は、長野県北部地域に路線を持つ鉄道事業者で、ながでんグループの中核企業である。長野県長野市権堂町2201に本社を置く。 須坂や中野といった千曲川東岸地域(河東地区)と国鉄線の接続による産業輸送近代化を目的とした「河東鉄道」を発祥とし、その後県都である長野との接続を図るべく「長野電気鉄道」を設立し須坂駅 - 長野駅間を開業、両社を統合して発足したのが現在の長野電鉄である。山の内線開業により湯田中・渋温泉や志賀高原の開発を進めるなど観光開発にも注力し、スキーブームの先鞭となった。2020年(令和2年)5月30日に河東鉄道として創立されてから100周年を迎えた。 長野線は開業当初から長野市内・近郊で複線区間を有し(当時は権堂駅 - 信濃吉田駅間・その後長野駅および朝陽駅まで複線延伸)、複線区間では20 - 30分毎の高頻度運転を続けており、都市内鉄道としての性格も強かった。戦後は長野市の都市計画において長野都市圏の大動脈として位置付けられ沿線の開発も進み、また長野市と須坂市・中野市を結ぶ都市間路線としての機能も強くなったことから観光色は若干弱くなっていたが、新型特急用車両の導入により観光輸送にも改めて取り組んでいる。 開業線のほかに木島から野沢温泉、湯田中から渋・安代までの具体的な延伸計画や「善光寺平環状線構想」と称された河東線 - 飯山鉄道(現JR飯山線) - 千曲川西岸線(豊野・長野 - 屋代)の直通運転という雄大な構想もあったが、ともに実現せず今に至る。 かつては直営でバス事業も行っていたが、1987年(昭和62年)3月より一部路線を順次ながでんグループの子会社に移管し、1995年(平成7年)10月には残るバス事業を長電バスに分社した。 2002年(平成14年)4月1日に河東線の一部区間(信州中野駅 - 木島駅間、通称「木島線」)[2][3]が、2012年(平成24年)4月1日には屋代線(屋代駅 - 須坂駅間)[4][5][6]が廃線となるなど、他の地方鉄道同様、厳しい状況下にある。
概要