長野電鉄河東線
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河東線
木島駅舎
(2002年3月30日)
概要
現況廃止(屋代-須坂間・信州中野-木島間)
起終点起点:屋代駅
終点:木島駅
駅数26駅
運営
開業1922年6月10日 (1922-06-10)
廃止2002年4月1日(信州中野-木島間)
2012年4月1日(屋代-須坂間)
所有者河東鉄道→
長野電鉄
使用車両長野電鉄#車両を参照
路線諸元
路線総延長50.4 km (31.3 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流1,500 V 架空電車線方式

路線図


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停車場・施設・接続路線
凡例


しなの鉄道線


0.0屋代駅




JR東: 北陸新幹線




1.3東屋代駅


上信越自動車道


2.9雨宮駅




5.0岩野駅




7.5象山口駅


8.6松代駅




11.7金井山駅


14.1大室駅


15.7信濃川田駅


17.2若穂駅


18.9綿内駅




21.4井上駅


長野線


24.4須坂駅


26.9北須坂駅


松川


29.4小布施駅


30.5都住駅


33.2桜沢駅


35.2延徳駅


37.5信州中野駅


山の内線


39.1中野北駅


41.1四ヶ郷駅


42.3赤岩駅


43.8柳沢駅


46.3田上駅


48.9信濃安田駅


50.4木島駅

河東線(かとうせん)は、長野県更埴市(現千曲市)の屋代駅から、同県須坂市須坂駅、同県中野市信州中野駅を経由して同県飯山市木島駅までを結んでいた長野電鉄鉄道路線である。

このうち木島線(きじません)の通称で呼ばれていた信州中野駅から木島駅までが2002年4月1日廃止された。これを受けて同年9月18日に路線名称が変更され、屋代駅から須坂駅までは通称であった屋代線が正式名称となり、須坂駅から信州中野駅までは信州中野駅から湯田中駅までの山の内線とともに長野線の一部となったが、屋代線も2012年4月1日に廃止された。

屋代 - 須坂間については「長野電鉄屋代線」、現存区間の須坂 - 信州中野間については「長野電鉄長野線」も参照のこと。
路線データ

路線距離(
営業キロ):50.4km

軌間:1067mm

駅数:26駅(起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:全線(直流1500V)

閉塞方式:自動閉塞式

保安装置:屋代 - 木島 ATS(点制御車上速度照査式)

運転指令所:須坂運転指令所

運行形態

信州中野 - 木島間の木島線は、1993年から2002年の廃止までは同区間折り返し列車(各駅停車)のみで、約60分毎(1999年のダイヤ改正以降は約90分毎に減便)のワンマンによる運転を行っていた。

かつては長野線長野駅から直通列車(各駅停車)があり、さらには有料特急として、特急「のざわ」(1969年当時の停車駅は長野・権堂・信濃吉田・須坂・小布施・信州中野・信濃安田・木島[1]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}晩年[いつ?]は木島線内各駅停車、長野 -信州中野間は2011年改正までのB特急相当)も、1日1往復(運行廃止直前は上り1本のみ)設定されていた。

1962年から1982年まで上野駅発着の国鉄急行「志賀」などの一部車両が屋代駅から湯田中駅まで乗り入れた。1963年2月-3月には、名古屋駅発着の国鉄夜行準急「あずみ」が長野駅経由で木島駅および湯田中駅まで乗り入れている。

なお、『鉄道要覧』による起点は屋代駅だったが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、須坂駅から屋代駅・木島駅へ向かう列車が下りで列車番号が奇数、屋代駅・木島駅から須坂駅へ向かう列車が上りで列車番号が偶数となっていた。
歴史

名前の通り千曲川東岸を走る河東線は、全線が河東鉄道により建設された。河東線の計画は元々1919年に小諸 - 小海間を開通させた佐久鉄道(JR小海線の前身)のもので、最終的には甲府 - 直江津・長岡間を結ぶという壮大なものだった。1920年に佐久鉄道の出資で河東鉄道が設立され、屋代 - 須坂間の鉄道敷設免許を佐久鉄道から譲り受けた。1925年に須坂 - 木島間が開業し、翌年には早くも電化されている。河東鉄道創業時は新潟県の十日町まで建設する計画で、実際に鉄道敷設免許申請も行われた。1952年頃にも再び、木島駅から野沢温泉に近い飯山市関沢までの延伸計画が持ち上がったが、敷設予定地地権者の反対や、この地域が豪雪地帯であることなどから計画は進まず、鉄道敷設免許は1963年に取り下げられている。

木島駅からは野沢温泉へのバスが接続し、前述の通り1993年頃までは長野線長野駅から木島駅までの直通列車も運転され、野沢温泉へのルートの一つとして賑わった時期もあったが、モータリゼーションの進行や近隣を走るJR飯山線との競合で信州中野 - 木島間は乗客が減少。2002年3月31日を最後に同区間が廃止され、長電バス中野木島線に代替された。四ヶ郷駅から柳沢駅の区間の線路敷の一部は、北陸新幹線延伸による線路敷設により分断される県道414号の代替道路、赤岩バイパスとして転用された。

屋代線となった屋代 - 須坂間も2012年3月31日限りで廃止された。
年表

1919年(大正8年)12月22日佐久鉄道が屋代 - 須坂間の鉄道敷設免許を申請。

1920年(大正9年)

5月3日:佐久鉄道に屋代 - 須坂間の免許交付[2]

5月30日:河東鉄道株式会社設立[3][4]

7月10日:河東鉄道が須坂 - 木島 - 七ヶ巻間、七ヶ巻 - 十日町間敷設免許申請。

7月17日:河東鉄道が佐久鉄道の屋代 - 須坂間敷設免許譲受を申請(同年9月6日認可[5]


1921年(大正10年)5月26日:河東鉄道に須坂 - 木島間、信州中野 - 湯田中 - 渋安代(渋温泉近く)間の免許交付[6]

1922年(大正11年)

4月10日:木島 - 瑞穂間敷設免許を申請。

6月10日:河東鉄道により屋代 - 須坂間が開業[7]東屋代駅雨宮駅岩野駅松代駅金井山駅町川田駅(後の信濃川田駅)綿内駅井上駅須坂駅が開業。

9月15日:木島 - 七ヶ巻間、七ヶ巻 - 十日町間敷設免許申請却下。

12月2日:木島 - 瑞穂間敷設免許申請取り下げ。


1923年(大正12年)

3月12日:町川田駅を信濃川田駅に改称[8]

3月26日:須坂 - 信州中野間が開業[9]豊洲駅(現・北須坂駅)小布施駅延徳駅信州中野駅が開業。


1925年(大正14年)7月12日:信州中野 - 木島間が開業(屋代 - 木島間全通)。四ヶ郷駅赤岩駅柳沢駅安田駅(後の信濃安田駅)木島駅が開業。

1926年(大正15年)

1月29日:全線電化[3]

3月1日田上駅開業[10]

9月30日 河東鉄道が長野電気鉄道を合併し長野電鉄に社名変更、屋代 - 木島間が河東線となる。


1928年(昭和3年)10月11日都住駅開業。

1930年(昭和5年)12月10日:安田駅を信濃安田駅に改称。

1934年(昭和9年)5月24日象山口駅開業。

1944年(昭和19年)1月11日:豊洲駅(現・北須坂駅)休止。

1949年(昭和24年)3月28日桜沢駅開業。

1951年(昭和26年)11月13日大室駅開業。

1952年(昭和27年)

6月23日:木島 - 関沢間鉄道敷設免許申請。

11月25日:木島 - 関沢間鉄道敷設免許交付。


1960年(昭和35年)4月11日:豊洲駅を北須坂駅に改称し営業再開。


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