長野誠
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ながの まこと
長野 誠
生誕 (1972-03-30)
1972年3月30日(52歳)
日本宮崎県延岡市
国籍 日本
別名史上最強の漁師
職業船員
雇用者株式会社タカスイ
著名な実績『SASUKE』第17回大会完全制覇(2006年秋)
身長162 cm (5 ft 4 in) [注 1]
体重62 kg (137 lb) [注 2]
テレビ番組『SASUKE
肩書き第50金比羅丸船長
配偶者あり(2009年 - )
子供長野塊王(長男)
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長野誠
YouTube
チャンネル

長野誠チャンネル

活動期間2020年12月30日 -
登録者数1.48万人
総再生回数131万2198回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年3月28日時点。
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長野 誠(ながの まこと、1972年3月30日 - )は、日本の元漁師船員TBSSASUKE』のSASUKEオールスターズの1人で、史上2人目の完全制覇者。宮崎県延岡市出身。前職は株式会社タカスイ漁業部で勤務し[1]「第50金比羅丸」船長宮崎県延岡市観光大使。体脂肪率は5.7%(2003年時点)。長男は長野塊王。
来歴

2001年春の『SASUKE』第7回大会に初出場。

2004年、「第28金比羅丸船長」に就任。

2006年10月11日放送の『SASUKE2006秋』第17回大会で史上2人目の完全制覇を達成。

2009年、結婚。

2012年、「第50金比羅丸船長」に就任。

2016年、『SASUKE2016』第32回を以て引退を表明した。

2020年、日本中が新型コロナウイルス蔓延で苦しんでいる状況を元気付けたいと第38回大会(12月29日放送)に復活を果たした。放送翌日にはYouTubeチャンネルを開設[2]

2022年、記念大会のため、息子の長野塊王と共に第40回記念大会(12月27日放送)に出場した。

2023年、4月末をもって漁師の職を退職。タグボートの船員に転職した[動画 1]
人物

元々はアジサバを獲る漁師で、1か月で20?25日[動画 2]、1年で300日以上を海の上で過ごす漁師。番組側からは「史上最強の漁師」というキャッチフレーズをつけられている[3]

出場の服装は黒のタンクトップで挑む[注 3]

出場を続けるにつれて仕事で出世し、2004年に「第28金比羅丸」船長、2012年からは「第50金比羅丸」船長となっている。

自身の性格について「人にあまり興味がない」[4]

スポーツ経験は特になかったというが、『黄金筋肉』の番組内の企画である「基礎体力測定」の結果、オリンピックアスリート並みの身体能力を持っていることが判明している(後述の「黄金筋肉(基礎体力測定)」も参照)。
エピソード

職場の仲間が見せてくれたビデオをきっかけに『SASUKE』の存在を知り、山田勝己に憧れ出場を決心。応募は冗談半分だったという[5]。漁船の自室に家族の写真と並べて山田の写真を貼り、山田同様失敗したエリアのセットを自宅に作って練習したことから「第2の山田」と呼ばれた。当初は山田と同様にSASUKE出場を家族が反対していた。

2001年春の『SASUKE』第7回大会に初出場(当時29歳)。船の高所で命綱もつけずに逆立ち腹筋、人間こいのぼり(英語版)をするという衝撃的な内容の応募ビデオがスタッフの目に留まっての出場となった。その後は第11?13回まで3大会連続でFINALに進出するなど驚異的な記録を残した。

SASUKEのトレーニングは、大会2週間前のうち2日しかやっていなかった[動画 3]

下戸で、一滴も飲めない。

既婚者で現在は3児の父である。2022年冬の『SASUKE』第40回大会では当時13歳の長男と揃っての出場を果たした[動画 4]

リスペクトしているSASUKE選手として森本裕介を挙げている。[6][注 4]
SASUKEでの戦歴
大会ごとの戦歴
第7回大会?第10回大会

初出場は第7回。そり立つ壁でタイムアップ(ゼッケン87、全カット[注 5])。

第8回は同大会に出場した選手の中で、最速ペースの40秒以上を残してそり立つ壁まで進出するも、再びタイムアップ(ゼッケン41、ダイジェスト)。

大会終了後、自宅にそり立つ壁のセットを設立。これは『筋肉番付』でも取り上げられ、出場を決意するきっかけとなった山田勝己の姿と重なるものがあったため「第2の山田」と呼ばれた。

第9回から、挑戦時に黒のタンクトップに黒のズボンの服装が定着した。今大会はそり立つ壁を一発でクリアし、1stを22.85秒残しの最速タイムで突破[注 6]。2ndも2.3秒残しで突破し、リニューアルされた3rdのトップバッターに。新設されたランブリングダイス、ランプグラスパーを突破し、最終エリア・パイプスライダーまで到達。着地に失敗したものの最優秀成績者となった(ゼッケン61)[動画 5]

第10回は、正式にSASUKEオールスターズに仲間入りし、ゼッケン番号も999番と昇進。今大会はパイプスライダーを自作して練習を積んだことがVTRで明かされた。自身の出番前に挑戦したオールスターズが3人連続で1stでリタイアした中、長野も負の連鎖を断ち切れず、ジャンプハングで綱を掴み切れずにもんどりを打って落水。
第11回大会

第11回は1stで前回リタイアしたジャンプハングでやや体勢を崩しながらも突破し、13.70秒残しでクリア。2ndも19.80秒を残しでクリア。3rdではパイプスライダーを両足着地で成功させ、今大会唯一のFINAL進出者となる。FINALでは、スパイダークライムから綱への移行での約4秒のタイムロスが響いて、残り約3mのところでタイムアップ[動画 6]。その後のインタビューでスタッフから「(家族が反対している)SASUKE挑戦を続けるのか?」と聞かれ「そこが分からないんです」と答えた(ゼッケン96)。
第12回大会

第12回は初のゼッケン100番となった。ゼッケン95番から5人連続1stクリアの状況で、15.82秒残しの最速突破。2ndも14.6秒残しで最速突破し、1st・2nd同時最速タイムを達成。3rdも突破し、2大会続けてFINALに進出。FINALではタイムアップ音と同時にボタンを押すも、わずか0秒11の差で完全制覇を逃す[注 7]。タイムアップと同時に頂上に到達したため、スタート地点に戻されず、初めて頂上まで登った。その後カメラスタッフから、「下(ファイナル頂上からのみ眺められる景色)、見ますか?」の問いに対し、「見ません。また、いつか来た時に」と語り、上からの景色を見下ろすことなくその場を後にした[動画 7]

本大会のFINALのシーンは『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」の第7位に選出され、『SASUKE』の公式YouTubeでは、長野自身が選ぶ名場面の第2位に挙げ、この出来事を「幻の完全制覇」と称している[7]。なお、第1回から実況を務めてきた古舘伊知郎がこの大会を以て降板したため、今大会での長野のFINALが古館の最後のSASUKE実況となった[注 8]
第13回大会

今大会前に行われた「SASUKEトライアル」に参加。1回目の挑戦は、ターザンロープからロープクライムへの移行で滑り落ちリタイア。落下時の残り時間は約33秒だった。2回目の挑戦で26.55秒残しで全体第2位のタイムを叩き出した[注 9]

大会前には「第28金比羅丸」船長となった。

第13回もゼッケン100番で登場。1stを29.03秒残し[注 10]、2ndを18.77秒残しでSASUKE史上初かつ唯一のの2大会連続の1st・2nd同時最速タイムを達成。3rdではパイプスライダーでパイプが後退しながらも両足着地を成功させ、3大会連続のFINAL進出[注 11]。FINALでは綱登りでロープが風に煽られて動く影響で登りづらくなり、最後はボタンに手が伸びたもののタイムアップ[動画 8]
第14回大会?第16回大会

第14回は1stを30.00秒残し、2ndを9.9秒残しでクリア。3rd最後の挑戦者となるが、新設されたジャンピングバーの3つ目の飛び移りで掴んだ直後に落下。後のインタビューでは「ちょっと(滑り止めの)粉をつけすぎて滑った感じでした」と語った。アナウンサーからはその分(ファイナルへの切符を逃して)悔しいのではないか?と問われると「まぁ、楽しめましたから(それで)いいですよ」と語った(ゼッケン100)。

第15回は1stを23.59秒残しの最速タイムで通過。2ndでは進出した6人全員がクリアしていた中、挑戦前に「飛び移りが怖いんですよ」と危惧していたメタルスピンを掴み逃し、初の2ndリタイアとなる(ゼッケン100)。この大会唯一の2ndリタイアでもあった。

第16回は1stそり立つ壁で1度ミスをする場面があったものの、8.99秒残して突破。2ndは前回リタイアしたメタルスピンもクリアし、2大会振りの3rdに進出しデビルブランコまで到達したものの、ワイヤーが後ろの休憩所に絡まってしまうというメカニカルアクシデント。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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