長野総合車両センター
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長野新幹線車両センター」あるいは「長野総合運輸区」とは異なります。
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長野総合車両センター
長野総合車両センター(2022年11月)
基本情報
日本
所在地長野県長野市西和田2-29-1
鉄道事業者東日本旅客鉄道
帰属組織首都圏本部
所属略号都ナノ
整備済み車両略号長野総合車セ、NN
最寄駅長野電鉄長野線桐原駅
管轄車両211系
キハ110系
HB-E300系
旧称長野総合車両所
北長野運転所・長野工場
開設1945年
車両基地概要
敷地面積270,006 m2
留置線本数17本
検査線本数21本
洗浄線本数3本
配置両数
電車192両
気動車20両
合計212両
備考

2023年4月1日現在のデータ[1][2]
敷地面積は有価証券報告書の値[3]クモヤ143-52は車籍抹消済みだが稼働は終了していない。
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長野総合車両センター(ながのそうごうしゃりょうセンター)は、長野県長野市西和田二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部管轄の車両基地および車両工場。
概要

1888年明治21年)5月1日に官設鉄道開業に併せて開設された長野機関庫を前身にもつ車両基地で、工場のある場所にはかつて平林城があり、1930年昭和5年)には長野都市計画が認可され、城山公園と同規模の平林公園の建設が予定されていたが、戦時中用途地域制限解除期間中に鉄道省長野工機部の工場が建設された[4]

日本国有鉄道(国鉄)時代は長野工場と称し、車両検査・修繕だけでなく、蒸気機関車などの製造も行った。同じ敷地内には配置車両がある基地(長野運転所→長野第一運転区→北長野運転所、略号「長ナノ」)もあったが、1991年平成3年)7月1日に長野工場と北長野運転所を統合し長野総合車両所が発足[5]、その時JRの在来線では初めて、車両基地と車両工場を一体化させた区所となった[注 1]2004年(平成16年)6月1日に現名称に改称した[5]

国鉄分割民営化によるJR東日本継承後から長野支社の管轄であったが2022年11月に首都圏本部管轄内の車両センターとなり、それに伴い同センターの所属略号も「長ナノ」から「都ナノ」に変更された[6]

当センター内には周知の埋蔵文化財包蔵地として、南側には平林城址と記した石碑が立ち[7]、国鉄車両基地遺跡[8]、西和田遺跡[9]がある。
一般公開

毎年(2020年から2022年を除いた)10月上旬に「JR長野鉄道フェスタ」(旧 「長野総合車両センターふれあいまつり」)を開催してセンター内を一般公開している。

2019年開催時の主な内容

車両展示(交検庫・修繕庫・工場棟)

電車床下探検隊(クモヤ143-52を展示)

工場・訓練センター公開

運転シミュレーション体験

トラバーサー乗車体験

鉄道グッズ・部品販売

Nゲージ鉄道模型展示

記念弁当(限定100個販売)

また、開催に伴って専用駐車場の用意や長野駅から同センター近隣のJR貨物北長野貨物基地まで30分間隔で無料シャトルバスを運行した[10]
歴史115系の妻部に取り付けられた「長野工場」と「長野総合車両所」の銘板
(2010年10月撮影)

1888年(明治21年)5月1日 - 官設鉄道関山 - 長野間の延伸開業に併せて、長野機関庫を開設。

1890年(明治23年)2月16日 - 上水内郡芹田村大字栗田(現・長野駅東口付近)に内閣鉄道局長野器械場発足。

1893年(明治26年)10月1日 - 逓信省鉄道局に移管のうえ、長野器械場を長野工場に改称。

1897年(明治30年)8月18日 - 逓信省鉄道作業局に移管。

1907年(明治40年)4月1日 - 逓信省外局の帝国鉄道庁に移管[11]

1908年(明治41年)12月5日 - 内閣直轄の鉄道院中部鉄道管理局に移管。

1920年(大正9年)5月15日 - 鉄道省名古屋鉄道局に移管。

1936年(昭和11年)9月1日 - 長野機関庫を長野機関区に改称。

1942年(昭和17年)9月11日 - 鉄道省新潟鉄道局に移管のうえ、長野工場を長野工機部に改称。

1943年(昭和18年)11月1日 - 運輸通信省新潟鉄道局に移管。

1945年(昭和20年)

6月1日 - 運輸省新潟鉄道局に移管、上水内郡吉田町(現所在地)に長野工機部吉田分所を設置。

8月13日 - 長野空襲において機関区が機銃掃射により被弾。職員8名、兵隊3名が死亡[12]


1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道新潟鉄道局に移管。

1952年(昭和27年)8月5日 - 長野工機部を長野工場に改称。

1964年(昭和39年) - 長野工場吉田分所を長野工場本工場に、(旧)長野工場本工場を栗田分所に改称。

1966年(昭和41年)7月25日 - 長野機関区、長野客貨車区などを統合して長野運転所が発足。

1969年(昭和44年) - 長野工場栗田分所を廃止し、本工場に集約。

1973年(昭和48年) - 蒸気機関車D51形)が運用からはずれ配置が消滅、無煙化完了。

1986年(昭和61年)9月1日 - 長野運転所と長野運転所第二分所を統合し、長野第一運転区発足[13]

1987年(昭和62年)3月1日 - 長野第一運転区が北長野運転所に改称[13]

4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道に継承。


1991年(平成3年)7月1日 - 長野工場と北長野運転所を統合し、長野総合車両所発足[5]

2000年(平成12年)2月25日 - ISO9001認証取得。

2004年(平成16年)6月1日 - 長野総合車両センターに改称[5]

2019年(令和元年)6月25日 - 189系N102編成の廃車により特急型車両の配置が消滅。

2021年(令和3年)12月27日 - DD16-11の廃車により内燃機関車の配置が消滅。

2022年(令和4年)10月1日 - 長野支社から首都圏本部の管轄に移行したことにより略号が「長ナノ」から「都ナノ」に改称[6]

配置車両に記される略号189系の妻部に記載された配置車両の略号「長ナノ」と整備車両の略号「長野総合車セ」
(2010年10月撮影)

旅客車 -「長ナノ」…長野支社を意味する「長」と、長野を意味する電報略号の「ナノ」から構成される。「都ナノ」は使用されていない。

機関車 - 〔長野〕[注 2]

整備車両に記される略号

「長野総合車セ」(「長野工」→「長総車所」→「長野総合車セ」と推移。)

「NN」(「長 Naga」と「野 No」の頭文字をそれぞれ採りNNと省略。)

現在は「長野総合車セ」が主流である。
業務内容と職場

当センターの主な業務は、車両の検査・修繕・改造である。また、車両配置もあるため車両基地の機能も有しており、車体の清掃業務なども行っている。

当センターには鋳物職場があり、鋳鉄制輪子やNN46ブレーキライニング(ブレーキパッド)などを製造している[14]後述を参照)。

さらに首都圏・近郊地域で使用された電車の廃車に伴う解体作業も実施している[15][注 3]

下記にセンターの業務について、項目別に説明する。
検査担当形式と配置区所

出典: ⇒JR東日本テクノロジー株式会社HP 事業紹介
電車


長野総合車両センター:211系

松本車両センターE353系E127系

えちごトキめき鉄道ET127系

気動車


長野総合車両センター:キハ110系HB-E300系

小海線統括センターキハ100系、キハ110系キハE200系

えちごトキめき鉄道ET122形ET122形1000番台

上記の担当形式の他にも改造・機器更新等と同時に検査を行う場合がある。

2015年までは新潟車両センター所属車も当センターが検査を担当していたが、北陸新幹線が開業したことにより長野駅 - 直江津駅間がしなの鉄道北しなの線えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインにそれぞれ経営分離されたことから、回送経路が全線JR線の大宮総合車両センターへ移行されている。
改造・機器更新など

しなの鉄道115系の塗色変更やリニューアル改造[16]京葉車両センター所属の205系0番台富士急行6000系への改造を施工[17][18][19][20]などの実績がある。


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