長野県飯田高等学校(ながのけん いいだこうとうがっこう)は、長野県飯田市上郷黒田にある公立高校。地元では旧校名である「高松」の名称で呼ばれている。 自由な校風を尊重しており、校則が少なく、制服ではなく私服での通学となっている。生徒会を自治会と呼称し、過去より学生主体の学校を目指していた風潮が現在でも少なからず受け継がれる。 部活動は、「班」活動と称している。平成27年度現在、26の運動班、15の学芸班、7の同好会がある。なかでも、ラグビー班は県内においては花園出場9回(2021年度現在)の強豪校として知られる[1]。 普通科と理数科がある。1コマ55分授業、6時限であり、木曜日はそれに加えてLHRが行われる。 文化祭は「高松祭」と称し、その名称は旧称に由来する。最後にボディーペイントなどをして火の周りを回るファイヤーストームがある。花火も打ち上がる。 但し、電車代の節約の為に下山村駅から徒歩で向かう生徒もいる。飯田市内は路線がオメガカーブを描くため、上り列車に乗り遅れそうな場合や、下り列車の到着では間に合わない場合は下山村駅で乗降して走った方が、ともに電車より先に着くことが可能である。伊那上郷駅から下山村駅までは飯田線で5駅だが、直線距離は2kmでその直線上に当校がある。路線に沿うと6kmで列車は大概13分?20分で走行する。「下山ダッシュ」と言われ、当校の卒業生である長野朝日放送の草田敏彦アナも自身の担当する番組「abnステーション」で取り上げられた際「自分も高校時代に下山ダッシュをやっていた」と明言している。 以下の学校関係者は五十音順に並ぶ。
概要
沿革
1882年6月 - 飯田市伝馬町永昌院を仮用、郡立下伊那郡中学校として開校。
1883年7月 - 下伊那郡中学校専照寺に移る
1884年8月 - 長野県中学校飯田支校となる。
1884年11月 - 飯田市長姫城二の丸に新校舎落成
1893年4月 - 長野県尋常中学校飯田支校が開校。
1899年4月 - 長野県松本中学校飯田支校と改称。
1900年4月 - 独立し、長野県飯田中学校となる。
1906年10月 - 校歌(南信健児)制定。
1924年11月 - 飯田市上郷高松原に新校舎本館落成
1948年4月 - 学制改革により、長野県飯田東高等学校となる。
1949年5月 - 長野県飯田高松高等学校と改称。
1950年10月 - 開校(独立)50周年記念式典挙行
1958年4月 - 長野県飯田高等学校と改称。
1992年1月10日 - 飯田高等学校生徒刺殺事件[2]発生。
1999年4月 - 理数科設置。
2000年11月 - 独立100周年記念式典挙行。
教育課程
学校重点目標
確かなる人間力のある学校
確かなる学力のある学校
自主・自立(律)力のある学校
信頼力のある学校
文化祭
校歌
⇒校歌(作詞:福沢悦三郎 作曲:井出茂太)
最寄駅
JR飯田線:伊那上郷駅から徒歩5分
著名な卒業生
赤羽一雄(教育者)
阿智太郎(ライトノベル作家)
新井章仁(TVディレクター)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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