長野県松本県ケ丘高等学校
松本県ケ丘高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度13分55.9秒 東経137度59分7.44秒 / 北緯36.232194度 東経137.9854000度 / 36.232194; 137.9854000
長野県松本県ケ丘高等学校(ながのけんまつもとあがたがおかこうとうがっこう)は、長野県松本市県二丁目にある公立高等学校。 1923年(大正12年)4月17日 長野県松本第二中学校として開校される。1948年(昭和23年)4月1日 学制改革により、長野県松本第二中学校が長野県松本県ヶ丘高等学校に改称された。校名の県ヶ丘(あがたがおか)は、所在地である県(あがた)に由来している。1994年(平成6年)4月1日 英語科(1学級 定員40名)が設置され、普通科(7学級 定員280名)とともに2学科体制となる。 卒業生数は、創立90余年、旧制中学と新制高校とを合わせ2万7千名を越える[1]。通称は「縣陵(けんりょう)」[2]。文化祭は「縣陵祭」と称する[3]。 本校の特色の一つとして、母校「愛のリレー」[4]があげられる。母校愛のリレーは、高校卒業三十周年を記念して、母校に図書券・施設整備等を寄贈し、併せて当該年次の同窓生による記念講演等を行なう事業である。1980年(昭和55年)にスタートしたもので、当時、長野県議会議員だった高校二回卒(県二会)の有賀正(前同窓会長・第12代松本市長)発案 によるものである。新制高校の卒業生から毎年、リレーして行こうと言う発想で、以来、途絶えることなく毎年行われている。 1980年(昭和55年)の第1回「母校愛のリレー」では、東大名誉教授の山田尚勇が「情報科学からみた教育の未来像」[5]と題して講演会を行った。2013年(平成25年)創立90周年の第35回では、映画監督の山崎貴が「私たちの見た夕日、君たちと見たい夕日」[6]と題してトークショーを行っている。 デザインは、旧職員井口良一によるもので、四つの頂点は、白雪を戴く峻烈な北アルプスや美ヶ原の連山をかたどる。1923年(大正13年)開校の年に制定された。現在の校章は1948年(昭和23年)に改訂されたものである[7]。 応援練習は、例年、入学して2週間目火曜日?金曜日の4日間に実施される。入学してから最初の一週間は各クラスで朝(1時限前の30分ほど)応援練習の基本動作の練習が行われ、新入生の各クラスから1?2人の応援委員が選出されて、一定期間の朝練習の後に放課後の新入生全体練習が校庭で行われる[9]。 小説家の小嶋陽太郎[10]は、同窓会報の中で「非二十一世紀的伝統」と題し、伝統の応援練習についてこう記している。 「(前略)そして、その意味不明なオリエンテーションから数日後、地獄の応援練習を経て僕はようやく一人前の県陵生として認められたのでした。この二十一世紀の世にあって、これほど非二十一世紀的な伝統が残っている高校、ほかにはなかなかないのではないでしょうか」[11]。 「縣陵三大精神」は、縣陵出身者であれば、誰でも唱えることのできるものとして今も脈々と受け継がれている。 1933年(昭和8年)12月22日、松本第二中創立十周年記念事業の一つとして、「小松先生碑」(西田幾多郎書)が除幕された。現在、県ヶ丘高校本館前庭に立っている[15]。 1991年(平成3年)11月30日、生徒通用門正面に「三大精神」の碑(西川久壽男書)が建立され、旧制松本二中21回、高校1回卒業生らの手により除幕式が行われた[16]。
概要
特色
校章松本県ヶ丘高校校章
校歌・応援歌
校歌「若き我等」[8] - 作詞:高野辰之、作曲:信時潔
「若き我等」歌詞
一、風が十字に荒ぶれ狂う 信濃の直中松本平
此の地に身を置き 胸差し出だす
若き我等は体も強し 若き我等は心も強し
二、西に聳ゆる北アルプスに 朝日の輝き夕日のにおい
ふりさけ仰ぎて 光に生くる
若き我等は希みも高し 若き我等は理想も高し
覇権の剣 - (1965(昭和40)年頃製作。作者不詳。)
縣陵祭記念歌
ラララ
我等選手
起て健男児
健男児
勝利の叫び
信濃健児
朝に仰ぐ
天下の縣陵
燃ゆる制覇
教育目標・遺勲
縣陵三大精神
「質実剛健であれ 大道を闊歩せよ 弱音を吐くな」[12]
開校当時の初代校長小松武平 (1877 - 1930)による。小松武平先生は、旧制上田中学校(現長野県上田高等学校)の第2代校長[13]、旧制諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)の第5代校長を経て、松本第二中学校(現松本県ヶ丘高等学校)の初代校長として赴任された。文字通り新しい学校つくりを目指しながらも現職のまま亡くなられ[14]、この「縣陵三大精神」を遺勲として遺している。
沿革長野県松本県ヶ丘高等学校 初代校長 小松先生碑(西田幾多郎書)縣陵三大精神松本県ヶ丘高校旧本館伝統の縣陵応援練習風景
1923年4月17日 - 長野県松本第二中学校として開校。初代校長小松武平
1925年4月 - 校訓「三大精神」作られ、松本二中の教育方針となる
1929年4月5日 - 校歌「若き我等」制定
1933年9月26日 - 柔道部、全国中等学校柔道大会でベスト4
1948年
3月15日 - 長野県第二中学校通信教育部を設置
4月1日 - 学制改革により、長野県松本第二中学校が長野県松本県ヶ丘高等学校に、長野県第二中学校通信教育部が長野県松本県ヶ丘高等学校通信教育部になる
1950年
8月24日 - 文化祭を「県陵祭」と改称