長野県松本工業高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度13分35.6秒 東経137度59分18.3秒 / 北緯36.226556度 東経137.988417度 / 36.226556; 137.988417
長野県松本工業高等学校(ながのけん まつもとこうぎょうこうとうがっこう)は、長野県松本市筑摩四丁目にある県立工業高等学校。通称は「松工」(まつこう 若しくは まっこう)。文化祭は「松工祭」と称し、その名称は校名に由来する。 2022年現在、23の部活動がある。[1] 空手部は2021年に廃部した。[1] 2022年現在、2つの同好会がある。[1] いけ堂々、赤き甍の学舎に、たなおろし、
沿革
1939年(昭和14年)4月1日 - 長野県松本工業学校として開校。本科に機械科、電気科を第二本科に機械科、電気科を設置。
1942年(昭和17年)4月1日 - 本科に精密機械科、第三本科に電気科を設置。
1944年(昭和19年)4月1日 - 精密機械科と機械科を統合。本科機械科、同電気科、第二本科機械科、同電気科に再編。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県松本工業高等学校となる。全日制に機械工作課程、電力課程と定時制に機械工作課程、電力課程を設置。
1955年(昭和30年)8月1日 - 全日制、定時制とも機械工作課程を機械課程に、電力課程を電気課程に改称。
1960年(昭和35年)4月1日 - 全日制に電子工業課程を設置。
1963年(昭和38年)4月1日 - 機械、電気、電子工業課程をそれぞれ機械科、電気科、電子工業科に改称。
2007年(平成19年)4月1日 - 定時制課程の生徒募集停止。定時制課程は2009年度末に松本筑摩高校に統合された。2010年3月2日に閉課程式が行われた。
教育目標
自主的で協調性があり、公民的生活のできる人をつくる。
質実で礼儀を重んずる態度と、奉仕の精神を育成する。
保健衛生及び職場の安全に留意する習慣をつけさせる。
実験実習を通じて勤労を愛好し、責任を重んずる習慣を養わせる。
科学技術に関する研究心を高揚し、工夫創造の能力を啓培する。
生徒自身による自律活動を重んじ、積極的に義務を遂行する精神を育成する。
一般教養を身につけ豊かな人間性をつちかい、潤いある社会生活のできる素地を涵養(かんよう)する。
著名な出身者
北沢清功 - 政治家
御子柴進 - プロ野球選手(元阪神)
丑山努 - プロ野球選手(元日本ハム)※定時制在学、3年修了時に転校
柿田裕太 - プロ野球選手(元横浜)
百瀬治彦 - ジャスピンコニカ開発(小西六写真工業エンジニア)
校章
部活動
硬式野球部
第92回全国高校野球選手権長野大会に優勝し、初の甲子園出場を果たしている。
軟式野球部
サッカー部
バレーボール部
バスケ部
テニス部
ソフトテニス部
卓球部
バドミントン部
柔道部
剣道部
陸上競技部
自転車競技部
全国からも強豪校として知られており、国民体育大会やインターハイにも出場している。また、県内の競輪選手の多くは松本工業高校のOBである。
水泳部
原動機部
機械工学部
電気工学部
電子工学部
電気通信部 (電気工事班・山岳班)
写真部
軽音楽部
インターアクト部
科学部
漫画研究部
囲碁将棋部
校歌・応援歌
校歌
最寄駅
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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