長野県屋代高等学校
長野県屋代高等学校附属中学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度32分40.7秒 東経138度8分1.89秒 / 北緯36.544639度 東経138.1338583度 / 36.544639; 138.1338583
長野県屋代高等学校・長野県屋代高等学校附属中学校(ながのけんやしろこうとうがっこう・ながのけんやしろこうとうがっこうふぞくちゅうがっこう)は、長野県千曲市屋代にある公立の高等学校と中学校である。 高等学校は理数科と普通科を擁し、旧制中学を母体とする高校の一つである。通学区は第1通学区(2001年に旧第4通学区から変更)。 現在の校舎は1991年(平成3年)に新築されたもの。附属中学校は、高等学校と同じ校地に、2012年(平成24年)に開校した。1学年80名(男女各40名ずつ)。中学専用の校舎が1棟新築されたが、体育施設や特別教室などは高等学校と共用使用している。 「校歌」(作詞:佐竹盛富・折口信夫、作曲:草川信)や「文化祭」「生徒会」、体育授業伝統の「屋代高校体操」などは高等学校・中学校の両校ともに共通。中学校の校章は高等学校の校章を参考に新たに作成された。校長は両校共通で1名。校長の下に、附属中学には副校長を、高等学校には教頭を置く。「教員の相互乗り入れ」を謳い文句に、両校の教員が所属に関係なく両校を指導する。 2009年(平成21年)6月4日、屋代高等学校は、「屋代高等学校への中高一貫教育導入について」という要望書を長野県教育委員会に提出し、併設型中高一貫教育導入の検討を要請。これに対し、同教育委員会は10月13日の定例会において「東北信における併設型中高一貫校の設置計画(案)について」との議題の中で、屋代高校に2012年(平成24年)4月を目処に併設型中学校を開校するとの案を示した。そして、12月17日の同定例会において2012年(平成24年)4月に「長野県屋代高等学校附属中学校(仮称)」を開校する事を正式に決定し、2012年(平成24年)4月1日に長野県屋代高等学校附属中学校が開校した。
概要
沿革
1922年(大正11年)10月 - 長野県埴科中学校設立認可。
1923年(大正12年)4月 - 長野県埴科中学校として開校。
1925年(大正14年)4月 - 長野県屋代中学校に改称。
1927年(昭和2年)11月 - 講堂、第2校舎建築。
1928年(昭和3年)3月 - 第1回卒業式挙行。
1932年(昭和7年)
6月 - 第1回クラスマッチ。
10月 - 校歌制定。
1934年(昭和9年)7月 - 記念プール落成。
1938年(昭和13年)11月 - 第1回マラソン大会(当時の呼称は歩行競争)。
1942年(昭和17年)1月 - 戦時下につき土曜半休廃止。
1944年(昭和19年)8月・9月 - 出動学徒壮行式・特幹・予科練壮行式。
1948年(昭和23年)
4月 - 学制改革により、長野県屋代東高等学校となる。定時制併置。
5月 - 5日制実施
1949年(昭和24年)
5月 - 商業科設置(昭和27年度に募集停止)・生徒会発足。
12月 - 第1回文化祭。
1953年(昭和28年)5月 - 図書館落成。6日制授業復活。
1954年(昭和29年)
4月 - 60分授業開始。
10月 - 第1回鳩祭。
1958年(昭和33年)2月 - 生徒会誌「鳩陵」発刊。
1963年(昭和38年)4月 - 長野県屋代高等学校に改称。
1976年(昭和51年) - 定時制廃止。
1992年(平成4年)4月 - 理数科を設置(県下初)。
2003年(平成15年)4月22日 - 文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける(3年間、その後も継続して指定)。
2012年(平成24年)4月1日 - 長野県屋代高等学校附属中学校が開校。中高一貫教育を開始。
中高一貫校化