長野県伊那北高等学校
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長野県伊那北高等学校

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過去の名称長野県立伊那中学校
長野県伊那中学校
国公私立の別公立学校
設置者 長野県
学区第3通学区
校訓文武両道
設立年月日1920年
(旧制伊那中学校)
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制単位制
設置学科普通科理数科
学期2学期制
学校コードD120220900011
高校コード20155D
所在地396-8558
長野県伊那市山寺2165番地
外部リンク公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長野県伊那北高等学校(ながのけん いなきたこうとうがっこう)は、長野県伊那市山寺にある公立高等学校である。
概要

略称はなく「伊那北」と呼ばれている。文化祭は「ペン祭」と称し、その名称は校章に由来する。開始当初は9月に行われていたが、進学への影響から1962年の第6回ペン祭から7月開催へ変更された。その後開催時期が早まり、現在は6月後半に開催。

自由な校風をモットーに、生徒の自覚を尊重する中で、生徒会が中心となり1970年7月1日制服の自由化を実行した。

一般に修学旅行と呼ばれる行事は、同校では「研修旅行」と呼ぶ。1967年に廃止された修学旅行に代わり、教育成果の期待できる研修旅行を生徒が同年に自主的に開催したことが始まりである。目的地については、行き先を生徒が4 - 5コースの中から選択することができ、各方面へ分散して旅行していた時期もあったものの、近年では学年でまとまって広島や京都、奈良に行くことになっている。

2006年度まで2年次は一部の教科を、3年次ではほとんどの教科を選択科目としていたが、必修科目が未履修であることが発覚し、この年の3年生は卒業式を20日延期して補習を行った。
沿革

1919年12月1日 - 設置認可(文部省 野普129号)。

1920年

4月1日 - 長野県立伊那中学校として開校。

4月23日 - 長野県令第38号により、長野県伊那中学校に改称。


1929年 - 伊那中事件。

1948年4月 - 学制改革により、長野県伊那北高等学校となる。初の女子生徒入学。

1949年 - 長野県伊那東高等学校の男子生徒を編入。

1955年9月23日 - 第1回「ペン祭」開催。

1957年5月27日 - 火災により北校舎、中校舎の2棟を焼失。

1993年4月1日 - 理数科を設置。

2003年4月22日 - 文部科学省より学力向上フロンティアハイスクールの指定(3年間)を受ける。

2010年 - 研修棟「高志館」(自習室)竣工

基礎データ
アクセス

伊那北駅 徒歩10分

象徴
校章
2本のペン先を交差させた図柄をあらわした「クロスペン」。
慶應義塾校章に類似している。デザインについて検討された案には、時代柄2本のペンのうち1つを剣とし、ペンと剣で「文武両道」を象徴する案もあったが、議論の末、ペンは剣よりも強しという理想をあらわす現在の校章に決定された。
校旗
スクールカラーの紫紺の地に、校章を配置。
校歌・応援歌
校歌(作詞:藤村作、作曲:福井直秋)と「天竜河畔」がある。「天竜河畔」には、同校の体育教師、柴 韓治郎が創作した「シバカン体操(柴韓体操、志覇喚体操)」なる振り付けもある[1]
部活動

野球部は夏の甲子園に3回出場し、1956年(昭和31年)の夏の大会で静岡県立静岡高等学校と対戦した試合は、甲子園の高校野球史上初の点灯試合となり、4対1で勝ちナイター初勝利を収めた。

将棋部は全国大会を幾度も制し、女子は8連覇を達成したこともある。

2016年、ソフトテニス男子のペアがハイスクールジャパンカップに出場。

2003年以降で全国大会レベルに出場した運動部はフェンシング部、陸上部、弓道部、ソフトテニス部である。
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野球

フェンシング

陸上

弓道

剣道

卓球

バレー

ソフトテニス

サッカー

バドミントン

バスケット

テニス

水泳

ラグビー

将棋

美術

文芸

写真

天文気象

軽音楽

生物

化学

物理

吹奏楽

合唱

弦楽

書道

家庭科

囲碁

ダンス

英語

演劇

漫画研究

主な成績

1955年8月 - 野球部が甲子園へ出場。

1956年8月 - 野球部が甲子園へ出場。

1961年8月 - 野球部が甲子園へ出場。

1979年12月 - 陸上部が高校駅伝全国大会へ出場。

1980年12月 - 陸上部が高校駅伝全国大会へ出場。

1981年12月 - 陸上部が高校駅伝全国大会へ出場。

1986年8月 - 将棋部が女子団体で全国優勝(この後1990年 - 1997年にかけ8連覇も達成)。

1997年2月 - スケート同好会、新谷志保美インターハイ女子500m2連覇。

2010年2月 - 英語部が世界高校生ディベート大会(World Schools Debating Championship)に出場。

2012年1月 - 英語部が世界高校生ディベート大会(World Schools Debating Championship)に出場。

著名な出身者
政治家・官僚

宮下創平

竹入義勝

野沢太三

伊藤公介

白鳥孝

小田切康彦[2]

杉本幸治

白鳥政徳

伊藤祐三

教師・学者

芦部信喜

曾倉岑

八木健三

北沢正啓

下島連

辰野千寿

田畑幸嗣

横山正彦

浦野東洋一

春日郁朗

唐澤豊

文学

伊藤伊那男 - 俳人


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