東西に長谷小路(現在の由比ガ浜大通りの一部)、南北に大仏切通と極楽寺坂切通を結ぶ神奈川県道32号藤沢鎌倉線が通じ、長谷寺の門前で交わっている。
地名の由来は、当地に建立された長谷寺にちなむ。吾妻鏡には地名の記載が見られない。もともとは「玉縄」もしくは「甘縄」と呼ばれる地域だったと推測される。初出は元弘3年(1333年)の上杉家文書の押紙で、「山内荘長谷郷」との記載がある。
明治以降、深沢と甘縄双方の土地を一部ずつ併せて長谷村が成立した。江ノ島参詣の経路であった長谷界隈は、高徳院(鎌倉大仏)や坂東三十三箇所の第四番札所である長谷寺への参拝者が絶えなかった。
明治22年(1889年)の町村制により長谷村は西鎌倉村の大字となる。昭和14年(1939年)に鎌倉市の大字となる。昭和47年(1972年)10月1日の住居表示により、長谷1?5丁目の新町名が生まれた。
明治以降、横須賀線が開通すると鎌倉御用邸の造成も相まって、政界、財界、官僚、軍人、皇族、華族などが別荘を競って構えるようになった[1]。鎌倉文学館(旧前田家別邸)、鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)、旧華頂宮邸、古我邸(旧荘邸)などは現存している。現在は別荘地ではなく、近代以前のように鎌倉大仏や長谷寺などへの観光客で賑わっている。別荘の所有者に対する商業活動を行ってきた古い店舗が、今でも由比ガ浜大通りに点在している。
寺社・旧跡
高徳院(鎌倉大仏)
長谷寺
甘縄神明神社
光則寺
収玄寺
鎌倉文学館
旧華頂宮邸
旧川端康成邸
著名な住民
川端康成
岡村文子
桂木洋子
林房雄
吉屋信子
参考文献
奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
脚注”. 2015年8月30日閲覧。
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更新日時:2016年4月29日(金)13:06
取得日時:2017/09/08 11:00