長谷川誠
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この項目では、バスケットボール指導者、選手について記述しています。その他の同名の人物については「長谷川誠 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

長谷川 誠
Makoto Hasegawa
現役時代
秋田ノーザンハピネッツ
ポジションポイントガード
役職社外取締役
基本情報
愛称ひげ、Mike(マイク)
国籍 日本
生年月日 (1971-04-02) 1971年4月2日(53歳)
出身地秋田県横手市
身長(現役時)186cm (6 ft 1 in)
体重(現役時)85kg (187 lb)
キャリア情報
出身能代工業高校
日本大学
選手経歴
1994-1996
1996-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2010
2010-2013松下電器
ゼクセル
サンディエゴ・ワイルドファイヤ(英語版)
いすゞ自動車
新潟アルビレックスBB
秋田ノーザンハピネッツ
指導者経歴
2014-2017
2017-2018秋田ノーザンハピネッツ
3x3男子日本代表

獲得メダル

日本
FIBAアジア選手権
1995 ソウル男子バスケットボール
1997 リヤド男子バスケットボール
アジア大会
1994 広島男子バスケットボール
ジュニアアジア選手権
金1990 名古屋男子バスケットボール


長谷川 誠(はせがわ まこと、1971年4月2日 - )は、日本のプロバスケットボール選手、指導者である。愛称は「ひげ」[1]及び"Mike"(マイク)。マネジメント契約先はスポーツビズ

能代工業高校日本大学を経て1994年に日本リーグ松下電器に進み、この年リーグ優勝、新人王とMVPを同時に獲得。その後ゼクセルを経て2000年にアメリカABAのサンディエゴ・ワイルドファイヤに1シーズン加入した。帰国後はいすゞ自動車新潟アルビレックスBBを経て、2010年より秋田ノーザンハピネッツのプレイングマネージャーを務めてきたが、2012-13シーズン限りで現役引退した。日本初のプロ選手契約を結んだ選手であり、また日本人で初めて日本国外のプロリーグに所属した選手でもあった。ポジションはポイントガード。現役時代の身長186cm、体重85kg[2]

引退後は秋田のテクニカルディレクター職を経て、2014-15シーズンよりヘッドコーチに就任。B.LEAGUE 2016-17シーズンB1残留プレーオフ終了後、ヘッドコーチ辞任を表明した。
略歴
学生時代

1971年、秋田県横手市(旧平鹿郡雄物川町)に生まれる。小学5年生の頃からバスケットボールを始め、雄物川中学校時代には3年次に東北大会3位入賞[3]。能代工業高校監督の加藤廣志にスカウトされ同校に入学した[3]。それまではセンターのポジションであったが、高校ではガードに転向し、同級生の関口聡史らと共に加藤三彦コーチの熱血指導で更に磨きをかけ1987年の選抜大会、1988年の国体とウィンターカップ、1989年のインターハイと国体の優勝に貢献[3]。高校卒業後は関口とともに日本大学に進学し、4年次には大学三冠も経験した[3]
実業団、プロ選手時代

1994年松下電器に入団、初年度よりチームをリーグ優勝に導き、日本リーグ新人王とMVPを同時に獲得した[3][注 1]

1996年、この年日本リーグ2部に加入したゼクセルに移籍。初年度に2部リーグを制覇し、1部昇格を果たす。また同年1月2日に放送されたテレビ番組『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』では池谷幸雄らを抑え総合No.1となった[4]

1997年、ゼクセルとプロ契約を結び、日本初のプロバスケットボール選手となった[3][注 2]

2000年ABAのサンディエゴ・ワイルドファイヤに移籍。男子バスケでは日本人初の海外プロリーグ選手となった[5]マリック・アレンピーター・コーネルらとプレーした。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}

2001年に帰国し、JBLスーパーリーグのいすゞ自動車に入団。JBL準優勝、アジアバスケットボールリーグ準優勝などに貢献したが、チームはこの年限りで休部となり、翌2002年、新潟アルビレックスBBに移籍する。2005年にアルビレックスがbjリーグに移籍し、翌2006-07シーズンに行われたオールスターゲームに選出。JBLとbjリーグ両方のオールスターに選出された初の選手となった。アルビレックスには2009-10シーズンまで所属し、その間2005-06シーズン、2006-07シーズンの2度、フリースロー成功率2位にランクインした[2]


2010年にフリーエージェント宣言を行い、同年に設立された秋田ノーザンハピネッツに移籍[5]。当初球団はヘッドコーチ就任を打診しており[6]、先に監督契約で合意していたが[7]、現役続行を望む長谷川の意向に応え、bjリーグ史上初のプレイングマネージャーとして契約[8][注 3]。長谷川はフロント業務兼任となり[6]、試合の指揮はヘッドコーチが執った[注 4]。しかしハピネッツ所属初年度となる2010-11シーズンこそ33試合・356分に出場したものの[2]、翌2011-12シーズンには18試合・122分[2]、さらに次の2012-13シーズンでは44試合を消化した時点で出場8試合・32分と、怪我などの影響で出場機会は徐々に少なくなっていた。

レギュラーシーズン8試合を残した2013年4月2日、自らの42歳の誕生日に記者会見を開き、2012-13シーズン限りでの現役引退を表明[6]。シーズン終了後は指導者を目指す意向を明らかにした[6]
日本代表として

バスケットボール男子日本代表としては1994年から2000年までの7年間にわたって選出され、1994年に広島県で開かれたアジア大会では3位入賞、翌1995年に福岡県で行われたユニバーシアードでは大会得点王となり、日本を準優勝へ導いた[5]。また1998年には、31年ぶりとなる世界選手権出場を果たした[5]
引退後

引退後は秋田ノーザンハピネッツのテクニカルディレクターに就任し、チーム編成とフロント業務などを担った[9]。また、日本バスケットボール協会3x3推進室専門委員にも就任した[10]。2014年1月25日には、日本人選手としては初となる引退試合を開催した。

2014年7月1日、それまで秋田のヘッドコーチであった中村和雄の後任として、ヘッドコーチに就任した[11]

秋田ノーザンハピネッツB.LEAGUE 2016-17シーズンB1残留プレーオフにおいて敗退し、来期からのB2降格が決定した責任を取り、2017年5月18日、ヘッドコーチ辞任を表明した[12]

2018年4月、3x3日本代表(男・女)のアドバイザーコーチに就任[13]。6月、新規3x3クラブチーム・セカイエのテクニカルアドバイザーに就任[14]。9月、3x3日本代表でトーステン・ロイブルディレクターコーチを補佐するアソシエイトコーチに就任[15]
引退試合

2014年1月25日に秋田市立体育館で行われた引退試合は、翌26日にで行われるbjリーグオールスターゲームのイベントの一環として行われたものであった。長谷川は親交のある選手や元選手を集めた「長谷川フレンズ」を結成し、長谷川の母校である能代工業高校と対戦した。対戦相手に能代工業を選んだ理由として長谷川は、近年全国制覇から遠ざかっている母校の強化を挙げた。2,214名の観客の前で行われた試合は長谷川フレンズが72対61で勝ち、長谷川は11得点を挙げた[16][17]
長谷川フレンズメンバー

ヘッドコーチ:
小浜元孝(元・いすゞ自動車監督)

コーチ:原田茂榎本日出夫

No.名前P生年身長出身主な所属
3小納真樹PG1973173cm秋田県元・トヨタ自動車アルバルク
4長谷川誠PG1971186cm秋田県秋田ノーザンハピネッツ
7鈴木慶太SG1981180cm神奈川県F'SQUAD(ストリートボール
9池田千尋SG1984182cm神奈川県平塚Connections(ストリートボール
10山崎昭史C1968216cm愛媛県元・松下電器


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