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出典検索?: "長谷川英憲"
日本の政治家長谷川 英憲はせがわ ひでのり
生年月日 (1938-03-06) 1938年3月6日
出生地長野県
没年月日 (2022-05-08) 2022年5月8日(84歳没)
出身校早稲田大学
所属政党(無所属→)
(杉並革新連盟→)
都政を革新する会
東京都議会議員
選挙区杉並区選挙区
当選回数1回
在任期間1989年7月 - 1993年7月
杉並区議会議員
当選回数5回
在任期間1967年4月 - 1985年7月
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長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2022年5月8日)は、日本の政治家。中核派の政治団体「都政を革新する会」(旧「杉並革新連盟」)代表[1]。杉並区議会議員(5期)、東京都議会議員(1期)を務めた。
選挙では、名前を平仮名にした長谷川 ひでのりの表記も用いる。また、俗称に長谷川 エイケン、ハセケン。 長野県生まれ。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁した。働きながら早稲田大学第二政治経済学部を卒業。 1967年、70年安保や沖縄返還、公害、消費者保護を争点に杉並区議会議員選挙に立候補し、初当選。以後1971年、1975年、1979年、1983年と杉並区議に連続当選。 1985年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から立候補するも落選。 1987年、東京都議会議員補欠選挙に杉並区選挙区から立候補するも落選。 1989年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から立候補し、初当選。 1993年、東京都議会議員選挙に再選を目指し立候補するも、落選した。 1997年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から都政復帰を目指し立候補するも、落選。 1999年、東京都議会議員補欠選挙に杉並区選挙区から立候補するも、落選。同年「都政を革新する会」によって結成された「介護と福祉を要求する杉並住民の会」の事務局長となった。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に東京都第8区から無所属で立候補するが、惨敗(当選者は石原伸晃)。
来歴
2005年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から再び長谷川が立候補したが、落選した。以後、選挙への立候補はない。
2022年5月8日、死去[2]。84歳没。
人物
過去の選挙戦では福祉政策重視、消費税の廃止、中小企業保護、日本国憲法改悪阻止等を主張した。