長谷川幸延
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長谷川 幸延
はせがわ こうえん
雑誌『富士』より(1952年)
誕生1904年2月11日
日本 大阪府大阪市北区曾根崎
死没 (1977-06-27) 1977年6月27日(73歳没)
職業小説家劇作家
活動期間1923年 - 1977年
ジャンル新派大衆小説
文学活動新鷹会
代表作小説
『寄席行灯』
桂春団治
戯曲
殺陣師段平
主な受賞歴1942年 新潮社文芸賞
『冠婚葬祭』
デビュー作『路は遥けし』
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長谷川 幸延(はせがわ こうえん[1][2]1904年2月11日 - 1977年6月27日[1][2])は、日本の小説家劇作家
人物・来歴

1904年(明治37年)2月11日大阪府大阪市北区曾根崎に生まれる[1][2]

大阪市曽根崎尋常高等小学校(1989年閉校、大阪市立大阪北小学校に統合)尋常科を卒業[2]、満19歳を迎える1923年(大正12年)、初めて書いた戯曲『路は遥けし』が新派の劇団よって大阪・中座で上演され、劇作家としてデビューする[1][2]

1925年(大正14年)、社団法人大阪放送局(現在のNHK大阪放送局)の嘱託に採用され、ラジオドラマを手がける[2]

1939年(昭和14年)、小説家を志して仕事場を東京に移し、長谷川伸に師事する[1][2]。1940年(昭和15年)、『オール讀物』(文藝春秋)に掲載された『法善寺横町』が第12回直木賞に初めてノミネートされた[2]。1941年(昭和16年)、白井喬二の『大衆文藝』(大衆文藝社)に掲載された『冠婚葬祭』が第13回直木賞にノミネートされたが再び受賞を逃し、翌1942年(昭和17年)、新潮社の新潮社文芸賞を受賞した[1][2]。同年、大映東京第一撮影所(現在の角川大映撮影所)が幸延の小説を原作に『八処女の歌』を映画化、幸延作品初の映画化となった。直木賞は1954年(昭和29年)の第31回まで7回ノミネートされたが、最後まで受賞できなかった[2]

『冠婚葬祭』は、のちに鈴木則文が監督した1965年公開『大阪ど根性物語 どえらい奴』の原作となった。初代 桂春団治に取材した『桂春団治』は1951年(昭和26年)、『オール讀物』に掲載され、第26回直木賞にノミネートされた。賞は逃したが[2]、1956年(昭和31年)に木村恵吾が、1965年(昭和40年)にマキノ雅弘が、それぞれ『世にも面白い男の一生 桂春団治』 、『色ごと師春団治』のタイトルで映画化した。

1960年に、芸術祭奨励賞をテレビ部門で受賞[3]。1968年、大阪芸術祭賞を受賞した[4]

1977年(昭和52年)6月27日に死去[1][2]。満73歳没。生まれ育った町にほど近い長柄墓地に埋葬される。
ビブリオグラフィ

国立国会図書館蔵書[5]

『笑ふ兵隊』、ユーモア文庫、東成社、1941年

『ラッパ貯金』、泰光堂、1942年

『法善寺横町』、長隆舎書店、1942年 - 第12回直木賞ノミネート作

『母の婚礼』、泰光堂、1942年

『御霊文楽座』、日進社、1942年

『渡御の記』、東光堂、1942年


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