はせがわ はつのり
長谷川 初範
別名義長谷川 ショパン
長谷川 憬
生年月日 (1955-06-21) 1955年6月21日(68歳)
出生地 日本・北海道紋別市
身長173 cm[1]
血液型A型[1]
職業俳優、声優、ナレーター、歌手
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
活動期間1976年 - 現在
活動内容1978年:デビュー
配偶者既婚
事務所ケイダッシュ
主な作品
テレビドラマ
『ウルトラマン80』
『真田太平記』
『101回目のプロポーズ』
『春よ、来い』
『葵 徳川三代』
『純情きらり』
『有閑倶楽部』
映画
『幻の湖』
『南極物語』
『ガメラ 大怪獣空中決戦』
『北京原人 Who are you?』
『白い船』
『うん、何?』
OV
『静かなるドン』
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長谷川 初範(はせがわ はつのり、1955年6月21日[1][2][3] - )は、日本の俳優。愛称は「ショパン」。
北海道紋別市出身[3][4]。北海道紋別北高等学校[4]、横浜映画放送専門学院(現・日本映画大学)演劇科卒業[3][4]。ケイダッシュ所属。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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二人兄弟の長男[3]。実家は商店で、道東一の売上を誇るスーパーマーケット「マート〆一」を営む裕福な家庭だった[5]。映画好きの両親の影響を受け、幼稚園児の時から1人で映画館に出かけては、邦画や洋画を観る早熟な幼稚園児だった。小学生の時に観たアメリカ映画『愛情物語』(THE EDDYDUCHIN STORY、1956年、主演タイロン・パワー)でピアニストの主人公が奏でるショパンのノクターンの曲の美しさに、生まれて初めての衝撃を受ける。8歳より剣道を始め、小学4年から北海道代表として全国大会で活躍。
高校在学中にロータリークラブ交換留学生として米国オレゴン州ニューポート高校に1年間留学[4]。レスリング選手として活躍し、芸術の分野でもニューポートコースト・アートフェスティバルの創作陶器部門で2位を受賞している。帰国後、北海道紋別北高等学校を卒業。米国南カリフォルニア大学入学の準備中に両親の離婚、実家の倒産などから渡米を断念。
1975年、映画監督・今村昌平が校長を務める横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。在学中に、テレビ朝日のバラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』のプロデューサーにスカウトされ「長谷川 憬(はせがわ けい)」名義で、番組内のドラマ『めざめれば秋』に出演するなど、テレビの仕事を経験する[6][7]。演出家・藤田傳に見出され、今村昌平制作舞台『ええじゃないか』俳優座劇場で藤田弓子の相手役として抜擢(ばってき)される。この源次役を躍動感あふれる男として演じ、一躍注目された。この舞台が今村賞を受賞し、二期生として卒業する。
1978年、CX『飢餓海峡』(監督・浦山桐郎、今村昌平プロデュース)戸波刑事役で本格的にデビュー[3][7][4]。1979年には、TBS系水曜劇場『熱愛一家・LOVE』で、石野真子の結婚相手となるトラック運転手役でレギュラー出演する[4]。
1980年、特撮テレビドラマ『ウルトラマン80』(TBS)に主人公・矢的猛役で初主演[8]。後に長谷川は、『80』までの昭和ウルトラシリーズと世界観がつながった2007年放送の『ウルトラマンメビウス』(CBC)にも、厳しいスケジュールを縫って同役に客演している。そのオファーに当たり、円谷プロダクションのプロデューサー・渋谷浩康から届いた「矢的先生への同窓会の招待状」としての熱い内容の手紙に、長谷川はいたく感動して出演を快諾したという。
1981年、脚本家・橋本忍に抜擢され、橋本プロダクション制作、東宝50周年記念映画『幻の湖』で映画デビュー[3]。しかし、映画は1週間で公開を終えてしまうという、厳しい映画デビューとなる。その後もテレビ、映画を中心に活躍していたが、1980年代後半に重度の喘息で体調を崩し、2年間は治療に専念。そのため、この間は俳優業を制限して佐山聡が開いた「タイガージム」に通い、身体を鍛えることで喘息の克服に努めていた。