長砂2号墳 / 長砂の石棺
横口式石槨開口部
所属長砂古墳群
所在地岡山県総社市久代
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分35.57秒 東経133度41分44.00秒 / 北緯34.6765472度 東経133.6955556度 / 34.6765472; 133.6955556
長砂2号墳(ながさこにごうふん)または長砂の石棺(ながさこのせっかん)は、岡山県総社市久代(くしろ)にある古墳。形状は方墳。長砂古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。 岡山県南部、新本川中流域北岸の丘陵端(標高約40メートル)に築造された小方墳である[1]。現在までに墳丘周囲は開墾等により改変され、石槨前面は崩落して崖状になっている[2]。発掘調査は実施されていない。 墳形は方形で、一辺約9メートルを測る[3][1]。埋葬施設は横口式石槨で、南方向に開口する。岡山県内では唯一の横口式石槨であり、石槨部(石棺)には兵庫県加古川市の竜山石が使用される点でも注目される。副葬品は詳らかでない。 築造時期は、古墳時代終末期の7世紀代と推定される[3]。岡山県内における後期古墳の最後を飾る古墳であるとともに[3]、一帯は古代下道郡の一角にあたり、古代氏族の下道氏との関連が示唆される[1]。 埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方向に開口する。小口を開けた石棺に短い羨道が取り付く構造である。石槨の規模は次の通り[4]。 石槨部は、兵庫県加古川市の竜山石製の刳抜式石棺で、小口の一方を開口する。小口を閉塞した蓋板は、周辺の石碑の台石に転用されている[3](石碑の安永4年(1775年)銘より、それ以前に石槨の発掘か[2])。羨道の石材は花崗岩の割石[3]。『吉備郡史』では、石棺の蓋石は屋根形を呈し、石棺と羨道の接続部の羨道側石には漆灰が見られたとするが、いずれも現在では詳らかでない[1]。
概要
埋葬施設石槨俯瞰図石槨展開図
石槨部(石棺):長さ2.03メートル、幅0.86メートル、高さ0.57メートル
羨道:長さ2.45メートル、幅1.3メートル、高さ1.2メートル
石槨部(奥壁方向)
石槨部(開口部方向)
羨道(開口部方向)
羨道(石槨部方向)
墳丘
画像左端に石槨開口部。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 長砂の石棺(平凡社) 1988.
^ a b 岡山県史 第18巻 考古資料 1986.
^ a b c d e 総社市史 考古資料編 1987.