長澤和明
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長澤 和明

名前
本名長澤 和明
カタカナナガサワ カズアキ
ラテン文字NAGASAWA Kazuaki
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1958-02-04) 1958年2月4日(66歳)
出身地静岡県
身長177cm
選手情報
ポジションMF

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1980-1989 ヤマハ発動機 123 (9)
代表歴
1978-1985[1] 日本9 (0)
監督歴
1991-1992 ヤマハ発動機
1993 ジュビロ磐田
1995-1996 鈴与清水FCラブリーレディース
1997 本田技研工業
1999-2001 ソニー仙台FC
2001-2007 常葉学園橘高等学校
2008-2012 浜松大学サッカー部
2013 グランセナ新潟FC
2014 北越高等学校
2015-2017 清水東高等学校
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手・指導者・解説者。日本代表経験を持ち[1]Jリーグ所属のジュビロ磐田の初代監督も務めた。長女は女優の長澤まさみ[2]。子供は、長男と長女(まさみと兄が年子)[3]
来歴

清水東高校高校総体3位(1973年高校選手権準優勝(1974年)を経験、東京農業大学を卒業後、1980年日本サッカーリーグ所属のヤマハ発動機サッカー部に入部。ゲームメーカーとして活躍した。また1982年ハンス・オフトがヤマハのコーチとして初訪日した時の主将であった。1978年からは日本代表に選出されたが、同じポジションに木村和司が存在したため9試合出場に留まっている。その後は怪我に泣かされ31歳で引退した。

引退後はヤマハのコーチを務めた後、1991年に監督に就任。在任中にチームが「ジュビロ磐田」に改称したため、長澤はヤマハ最後の監督と同時にジュビロの初代監督となった。在任中、1992年の旧J1(ジャパンフットボールリーグ)優勝、1993年のJリーグ昇格などの実績を残したが、ジュビロフロントはオフトを監督として再招聘するために事実上長澤を解任し、フロント入りさせた。現場に拘った長澤は、程無くヤマハフットボールクラブを退社した。

その後、1995年から1996年までL・リーグ鈴与清水FCラブリーレディースで、1997年にはジャパンフットボールリーグの本田技研工業サッカー部で、1999年から2001年シーズン途中までソニー仙台FCでそれぞれ監督を務めた。

2001年秋から静岡県の常葉学園橘高校サッカー部で監督を務め、2005年静岡県大会で優勝し全国大会に進出した。

2008年1月より、横浜F・マリノスへの監督就任が決まった桑原隆の後任として、浜松大学サッカー部の監督に就任した。また、前任者の桑原からスカパー!静岡放送ジュビロ磐田ホームゲームの解説を引き継いでいる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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