長浜駅
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長浜駅
東口(2020年10月)
ながはま
Nagahama

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所在地滋賀県長浜市北船町1-5.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度22分42.3秒 東経136度15分54.6秒 / 北緯35.378417度 東経136.265167度 / 35.378417; 136.265167座標: 北緯35度22分42.3秒 東経136度15分54.6秒 / 北緯35.378417度 東経136.265167度 / 35.378417; 136.265167
駅番号JR-A09
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 北陸本線*
キロ程38.2 km(敦賀起点)
電報略号ハマ
駅構造地上駅橋上駅
ホーム2面4線
乗車人員
-統計年度-3,432人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日1882年明治15年)3月10日[1]
備考直営駅
みどりの券売機プラス設置駅
* 当駅から京都駅の間は「琵琶湖線」の愛称あり。
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西口(2020年10月)

長浜駅(ながはまえき)は、滋賀県長浜市北船町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線である。駅番号はJR-A09。
概要

長浜市の代表駅であり、近畿統括本部に所属する。第2回近畿の駅百選に選定されている。

北陸本線に属するが、1991年平成3年)9月14日田村駅 - 当駅間の直流化[2]、さらには2006年(平成18年)10月21日敦賀駅までの直流化により停車する列車の多くが京都大阪方面に直通している。また、当駅 - 米原駅間は東海道本線米原駅 - 京都駅間と合わせ、愛称である「琵琶湖線」の区間に含まれている[3][4]

現在の駅舎は2006年の敦賀駅までの直流化に合わせて完成した橋上駅舎で[5][6]、初代駅舎をモチーフにデザインされている[1]。なお、1903年まで供用されていた初代駅舎は長浜鉄道スクエアの施設として保存されている[1]
歴史
琵琶湖水運との接続駅

明治初頭、東京神戸を結ぶ鉄道路線を敷設するにあたり、名古屋京都の間は関ケ原を通る中山道ルートに決められたが[7]、その際に滋賀県内では琵琶湖水運を代替として、建設を猶予する指針が立てられた。

そのため、湖に面した港町に水運と鉄道の接続駅を設けることになり、京都・大阪方面で1880年(明治13年)に大津駅(初代[注釈 1])が開業した後、岐阜・名古屋方面と敦賀方面の分岐点として、開設が決められたのが長浜駅であった。鉄道は長浜を始点として、まずは岐阜へ向かう路線が着工された。

それと並行して日本海沿岸の水運の拠点だった敦賀と京都を結ぶ鉄道も計画された。これも東西幹線と同じように、暫定的に琵琶湖水運を活用する形で、長浜駅を始点として敦賀を目指す形で着工された。鉄道連絡船太湖汽船)は1882年(明治15年)に運航を開始した[8]

敦賀行きの路線が先に開業し、これが当駅の創始となった。当時の駅舎は現存しており、日本最古の鉄道駅舎として1958年(昭和33年)10月14日鉄道記念物に指定され[1][9]、「旧長浜駅舎鉄道資料館」として公開されている[10][11]

後に、岐阜方面へ向かう路線も開業して当駅は鉄道の結束点となり、1889年(明治22年)4月16日からのおよそ3か月間は、岐阜以東を東海道経由にルートを変更して新橋駅 - 長浜駅間・大津駅 - 神戸駅間が完成した東西幹線(後の東海道本線)の中継を担う存在となった[7][12]。しかし同年7月1日、岐阜側と敦賀側の鉄道分岐点として米原駅が建設されたほか、分岐点(後に深谷駅)から米原駅を経て馬場駅(後の膳所駅)に至る湖東線が開業したことから、当駅は陸運と水運の接続点としての役目を終え、若狭や北陸へ向かう路線(後の北陸本線)の中間駅となった[13]
直流電化の終端

北陸本線1957年(昭和32年)10月1日に田村駅 - 敦賀駅間が交流電化され[1][14][15]1962年(昭和37年)12月28日の米原駅 - 田村駅間直流電化とともに坂田駅 - 田村駅間が交直電化の境目(デッドセクション)となった。

1991年(平成3年)9月14日東海道本線に設定されている新快速の乗り入れのために坂田駅 - 当駅間が直流電化され[1][2][16][17]、デッドセクションが当駅の北側に移動し、これによって当駅はアーバンネットワークの東端駅と位置づけられるようになった。

2006年(平成18年)には新快速の敦賀駅への乗り入れを目的として、デッドセクションが敦賀駅の北側、北陸トンネルの手前に移されている[15]。ただし、その後も当駅発着の列車は残っている。
年表

1882年明治15年)3月10日官設鉄道の当駅 - 柳ヶ瀬駅間開業に伴い、一般駅として開業[18]

1883年(明治16年)5月1日関ケ原駅から春照駅経由で当駅までの路線が開業[1][19][20]


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