長浜藤夫
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ながはま ふじお
長濱 藤夫
本名竹村 時之(たけむら ときゆき)
生年月日 (1910-11-27)
1910年11月27日
没年月日 (1983-08-01) 1983年8月1日(72歳没)
出身地 日本石川県金沢市千日町
職業俳優
ジャンル新劇劇映画時代劇現代劇トーキー)、テレビ映画
活動期間1931年 - 1981年
配偶者あり
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長浜 藤夫(ながはま ふじお、1910年11月27日 - 1983年8月1日)は、日本俳優[1][2][3]。長濱 藤夫と表記されることもある。本名は竹村 時之(たけむら ときゆき)[1][2][3]
来歴・人物

1910年(明治43年)11月27日石川県金沢市千日町に生まれる[1][2][3]。旧制麻布中学校を経て東京高等造園学校(1942年消滅、東京農業大学造園学科の前身)を卒業[1]

1931年(昭和6年)、新興劇協会に入り、久保栄(1900年 - 1958年)が演出を務めた舞台『青酸加里』で初舞台を踏み、新劇俳優として活躍する[1][2][3]1934年(昭和9年)、山田耕筰(1886年 - 1965年)が主宰する楽劇金曜会、1937年(昭和11年)には新築地劇団1942年(昭和17年)には瑞穂劇団へ転々とした[1][2][3]。この間、映画にも出演しており、初出演作品は1935年(昭和10年)公開の成瀬巳喜男監督映画『妻よ薔薇のやうに』である[1][2][3]。また、戦中から戦後にかけては東宝移動演劇隊(後の東宝演劇部)に所属しており、1947年(昭和22年)には東宝と専属契約を結び、黒澤明監督の『生きる』などに出演した[1][2][3]

1950年(昭和25年)、東宝争議解決後は夏川静江石黒達也等と共に東京ラジオ・グループを結成[1]。後にNHKと契約し、その傍らで1958年(昭和33年)に放映された『バス通り裏』などのテレビドラマにも多く出演した[1][2]1968年(昭和43年)、劇団民藝に所属し、『家族展覧会』などの舞台に出演した[1][2][3]。ひょうきんな味わいを持つ脇役として知られ、以後もテレビドラマや映画にも積極的に出演した。

1983年(昭和58年)8月1日、死去[2][3]、満72歳没。
出演作品
映画

妻よ薔薇のやうに(1935年、
P.C.L

彦六なぐらる(1940年、南旺)- 鉄造

流旅の人々(1941年、東宝)- 土木

女学生記(1941年、東京発声)

三代の盃(1942年、大映)

英国崩るるの日(1942年、大映)- 運動部長

陸軍(1944年、松竹)- 藤田謙朴

女優(1947年、東宝)

新馬鹿時代(1947年、東宝)- 巡査矢田


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