長津田
町丁
長津田駅 北口(2016年2月)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度31分58秒 東経139度29分39秒 / 北緯35.532872度 東経139.494222度 / 35.532872; 139.494222
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区緑区
人口情報(2023年(令和5年)7月31日現在[1])
人口16,979 人
世帯数8,472 世帯
面積([2])
1.126 km²
人口密度15079.04 人/km²
設置日1982年(昭和57年)7月19日
郵便番号226-0027[3]
市外局番045(横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
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長津田町
町丁
北緯35度30分54.09秒 東経139度29分0.43秒 / 北緯35.5150250度 東経139.4834528度 / 35.5150250; 139.4834528
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区緑区
人口情報(2023年(令和5年)7月31日現在[1])
人口6,787 人
世帯数3,365 世帯
面積([2])
3.41 km²
人口密度1990.32 人/km²
設置日1939年(昭和14年)4月1日
郵便番号226-0026[5]
市外局番045(横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
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長津田(ながつた/ながつだ)は、神奈川県横浜市緑区の町名である。
長津田(ながつた)。住居表示実施区域であり、現行行政地名は長津田一丁目から長津田七丁目。
長津田町(ながつたちょう)。住居表示未実施。
また、いぶき野および長津田みなみ台の一部は、いずれも長津田町から分離したものである。当該項目を参照されたい。 大辞林によれば「谷津田:やつだ」とは《「谷津:やつ」(低地。たに。また、低湿地。やち。やと)にある湿田。谷地田(やちだ)。》とあり、『長津田』は「長い湿田」の意という。一般に、遷流する岩川上流部の集落を総称して「上長津田」、下流部を「下長津田」という。 多摩丘陵東縁部、鶴見川水系恩田川中流域右岸に位置する。地形は、町域北側に恩田川段丘崖があり、武蔵野層・鶴川層・上倉田層などに分類される洪積台地と恩田川・岩川周辺の10数本の谷戸からなる沖積地で構成される。沖積地は主として水田稲作(近年では糯米が主流)、洪積台地は山林・畠作が多い。町域東南部「馬之背」から十日市場町にかけて断層線がある。 横浜開港後、上州・信州・甲州産の絹糸の集散地である八王子から横浜港へ輸送する中継地として発展。明治20年代以降、副業として養蚕が盛んになる。大正期以降、東京・横浜などに向けての商品野菜の栽培が増加。昭和40年代以降、鉄道・道路の開通に伴い、東急電鉄などによる宅地開発や神奈川県住宅供給公社などによる住宅団地造成が促進し人口が急増した。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、長津田4-4-5の地点で34万1000円/m²となっている[6]。 かつて横浜市編入前のこの場所は、都筑郡田奈村大字長津田であった。
地名
長津田の由来
かつて町内に存在した小字名
柳町 やなぎまち
新林 しんばやし
住撰 じゅうせん
御前田 おまえだ
薊沢 あざみざわ
杉山原 すぎやまはら
柳下 やなぎした/やぎした
深田 ふかだ
宮ノ前 みやのまえ
玄海田 げんかいだ
中村 なかむら
馬之背 うまのせ
長月 ちょうげつ
草木 くさぎ
道正 どうしょう
滝沢 たきざわ
西之原 にしのはら
地理
地価
歴史
沿革
1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市に編入。横浜市港北区長津田町となる[7]。
1969年(昭和44年)10月1日 - 行政区再編成により、緑区を新設。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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