ながさわ みき
長沢 美樹
プロフィール
性別女性
出生地 日本・北海道帯広市[1]
出身地 日本・福島県郡山市[2]
生年月日 (1970-07-11) 1970年7月11日(53歳)
血液型A型[3]
職業声優、舞台女優[4]、ラジオパーソナリティ
事務所アトミックモンキー[3]
公式サイト長沢 美樹|アトミックモンキー
長沢 美樹(ながさわ みき、1970年7月11日[4] - )は、日本の声優、舞台女優[4]、ラジオパーソナリティ。北海道帯広市生まれ[1]、福島県郡山市育ち[2]。アトミックモンキー名誉会長、同社所属[3]。劇団ヘロヘロQカムパニー所属[4]。 小さい頃から本を声に出して読むことが好きであり、小学時代国語の時間に教師から指されて教科書を音読することが楽しみという子供だった[5]。 小学生時代に『風と共に去りぬ』を見て映画のみならず漫画、小説などにも手を出し、その影響を受ける。中学時代は「校内放送をしなくちゃならないから、放送部員は掃除の時間にさぼれる」という理由で放送部に所属[5]。昼休みに好きな音楽をかけ、紹介文を読むうちに声の仕事に興味を持つようになった[6]。6年上の姉がアニメ好きで、姉から職業としての声優があることも教わって、アニメに興味を持つようになった[6]。高校時代も放送部に所属して朗読、アナウンスコンクールなどに出場しており、練習するうちに「声の仕事ができたらいいな」と思うようになった[6]。校内放送を担当しているうちに「面白かったよ」、「良い声だね」のような感想をもらえることがうれしくなり、高校生3年生の秋、進路決定に際して当初はアナウンサー志望であったが、最終的には声優となる道を選ぶ[5]。声優になろうと思ったその日にアニメ雑誌『アニメージュ』を買いに行き、最初に見つけた勝田声優学院の案内書を請求した[6]。しかし大雨でグチョグチョの案内書が届き、「声優になるな」ということだと一度は諦めかけたが、勝田側の手違いで再び案内書が届き、「やっぱり声優になる運命なんだ」と思ったという[7]。 大学受験に失敗し、両親に東京の予備校に通うという条件に週1回の養成所に通うことを認めてもらって一人暮らしをしながら予備校と養成所に通う[6]。 両親は声優になることは反対していたが、「どうしてもなりたいから許してもらえないだろうか」と必死に説得していた[8]。父は長い間反対していたが、母は途中からは応援してくれるようになったという[8]。 勝田声優学院[6]、俳協ボイスアクターズスタジオ第1期生[9]。 勝田声優学院時代は、4年間通い、通常は3年間しか在籍できないが、講師に好きだった水鳥鐵夫がおり、水鳥が開いていたゼミをもう1年間受講したいと思い、勝田久に直談判をして「もう1年通わせてくれないか」と頼み込み、留年という形にしてくれた[5][6]。その時に勝田には「前例がない」と渋っていたが、「前例がないなら前例を作ってください!」と頼み込んで認めてくれた[5][6]。 水鳥と野沢雅子のレッスンを選択して、週2回通っていた[6]。
経歴