長崎県立長崎西高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度45分58秒 東経129度51分33.8秒 / 北緯32.76611度 東経129.859389度 / 32.76611; 129.859389
長崎県立長崎西高等学校(ながさきけんりつ ながさきにしこうとうがっこう, 英: Nagasaki Prefectural Nagasaki Nishi High School)は、長崎県長崎市竹の久保町に所在する県立高等学校。通称は西高、長崎西。 長崎西高等学校は、長崎東高等学校と源流を同じくしている。また、長崎東高とともに、創立年数は1948年(昭和23年)を基準に数えている。
概要浦上駅と浦上川対岸の長崎西高方面を結ぶ歩道橋。
(左が浦上駅側、右が長崎西高側。)
かつて総合選抜制度を行っていた長崎五校の一つ。
ほとんどの生徒が四年制大学をはじめとする上級学校への進学を目指す。
長崎市内の多くの県立高等学校は高台に建っているが、長崎西高は比較的低地にあり、バス(長崎バス、長崎県営バス)に加え、電車でのアクセスがしやすい学校である。JR九州の浦上駅、長崎電気軌道の浦上駅前電停が近くにあり、そこからは歩道橋[1]を通って学校の近くまで行くことができる。
校訓
「自律」
創立30周年の1978年(昭和53年)に制定。
キャッチフレーズ
「志高く夢かなう長崎西」
校章
1949年(昭和24年)4月に制定。
モチーフ
背景に3枚の柏の葉[2] - 「知・徳・体」の言葉を表す。
「高」の文字(俗字体のはしご高)
「W」の文字 - 「西(West)」の頭文字と「世界(World)」の頭文字を表す。また羽ばたく鶴[3]の姿にも似せている。
マスコットキャラクター
柏君(かしわくん)
校章に用いられている柏の葉をモチーフに作られたマスコットキャラクター。えんじ色の服をまとい、右手に万年筆を掲げている。柏君神輿などがある。
校歌
タイトル - 「眉秀でたる若人よ」
作詞 - 風巻景次郎(国文学者、当時北海道大学教授)
作曲 - 長谷川良夫(作曲家、当時東京芸術大学教授)
野球部が夏の甲子園に西九州代表として出場したのを機に、1951年(昭和26年)12月に制定された。
歌詞は3番まである。
設置課程・学科
全日制課程
普通科
理系コース
普通コース
沿革
前身
旧制中学校(男子校)
長崎県立長崎中学校
1858年(安政5年) - 長崎奉行支配組頭の永持亨次郎
場所 - 官邸の岩原屋敷(現在の長崎歴史文化博物館がある場所)
その後、「英語所」、「語学所」、「洋学所」と改称。
1865年(慶応元年) - 新町に校舎を新築し、「済美館」と改称。
1868年(明治元年) - 明治政府直轄となり、「広運館」と改称。
1872年(明治5年) - 学制が公布され、官立(国立)の「第六大学区第一番中学校」と改称。
その後、「第五大学区第一番中学校」、「広運学校」、「長崎外国語学校」、「長崎英語学校」と改称、移転が続く。