長崎県立諫早高等学校・附属中学校
学校敷地内にある御書院庭園
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度50分40.4秒 東経130度3分5.7秒 / 北緯32.844556度 東経130.051583度 / 32.844556; 130.051583
長崎県立諫早高等学校・附属中学校(ながさきけんりつ いさはやこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう、英: Nagasaki Prefectural Isahaya Junior and Senior High School)は、長崎県諫早市東小路町にある公立高等学校・中学校。
学校の略称は、高校が「諫高」(かんこう)、「諫早高校」、中学校が「諫高附属中」、「諫高附中」、「附中」(ふちゅう)である。 2011年(平成23年)4月より附属中学校を開校し、中高一貫教育を開始した。長崎県内の県立中学としては長崎東中学校、佐世保北中学校に次ぎ、3校目となる[1]。 (沿革節の主要な出典は公式サイト[9][10])
概要
歴史
旧制諫早中学校と旧制諫早高等女学校を前身とする。2011年(平成23年)に創立100周年を迎えた。学校敷地内には、戦国武将の龍造寺家晴が築かせた庭園である御書院[2] が保存されている。
設置課程・学科(高等学校)
全日制課程
普通科
定時制課程(夜間部)
普通科 - 定時制課程の普通科では、「情報処理」「文書デザイン」という商業に関する授業がある。
過去の設置課程・学科(高等学校)
全日制課程 理数科(2014年(平成26年)募集停止、2016年(平成28年)3月末閉科)
校訓
「自立創造」 ?高い志を抱いて自分の人生を自分の力で切り拓く? - 1989年(平成元年)10月25日に制定。
校是
「文武両道」
教育方針
「志の教育」 - 校訓「自立創造」の理念をもとに、人間性豊かにして徳・知・体の調和のとれた、社会に有為な逞しい人間を育てる。
教育スローガン
人間・生活・学びを大切にする学校 ?楽ではないが、楽しい学校?
合言葉
「諌高道を究めよ!」、「チーム諫高」
校章
中心から3方向(上、左斜め下、右斜め下)に柏の葉が広がり、それぞれの葉にひらがなの「い」を重ね、3枚それぞれの葉が重なる部分をやじり(3カ所)がつなぎ、真ん中に「高」(俗字体のはしご高)の文字を置き、全体で「諫早高等学校」[3] を表している。なお、柏の校章の由来は旧制第一高等学校の校章を借用し、その生徒の様に知的であってほしいという願いがこめられていると言われている[4]。中学校の校章は上記の校章の中の「高」を「附中」(縦書き)に置き換えたものとなっている。
校歌
作詞は風木雲太郎(詩人)[5]、作曲は信時潔(作曲家)[6] による。歌詞は1番のみ。歌詞の中には、諌早を象徴する自然の「有明(海)」や「多良岳」が入っている。「諌早」という言葉は入っておらず、学校は「母校」で表されている。学校の公式ウェブサイトで曲を試聴することができる。また、上記の他に旧制諌早中学校、旧制諌早高等女学校の校歌も存在する。上記の校歌と同じく、公式ウェブサイトで曲を試聴することができる。
旧制諫早中学校校歌
作詞は平田与七、作曲は岡山直[7] による。歌詞は2番まであり、「有明(海)」、「不知火」、「本明(川)」、「多良の峰(=多良岳)」が歌詞の中に入っている。学校の名前・母校といった言葉は入っていない。
旧制諌早高等女学校校歌
作詞は五十嵐力、作曲は弘田竜太郎による。歌詞は2番まであり、「多良嶽(=多良岳)」、「不知火」、「有明」が歌詞の中に入っている。2番の最後に「諫早高女」と略称が入っている。
学校だより
「藤紫」(ふじむらさき) - 校歌の中の「藤むらさき」という言葉に由来する。
施設
全日制と定時制は、校舎を共用している。
屋内 - 第1棟(管理棟を含む、3階建て)、第2棟(4階建て)、第1棟・第2棟を結ぶ通路は2階建て(1階は下足室・売店、2階は教室)、第3棟(中学校棟)、図書館・特別教室棟
体育館等 - 第1体育館(2階建て)、第2体育館、弓道場、部室
屋外 - 駐輪場、第1グラウンド、第2グラウンド・ピッチング練習場(諌早市本明町131番地1)[8]
その他 - 御書院、おしどり池[2]
制服
全日制・中学校 - 男子は学生服、女子はブレザー(中学は赤リボン)、高校のジャージは学年(入学年度)ごとにジャージの色が異なる(赤・緑・紺の3色)。
定時制 - 制服はない。
沿革
旧制諫早中学校(男子校)
1922年(大正11年)4月12日 - 「長崎県立大村中学校諫早分校」が設立。
諫早家(敷地(御書院一棟及び庭園も含む))と郡民(建設費)との寄付により設立認可。仮校舎は新校舎が完成するまで、北高来郡会議事堂を仮校舎として使用。
1923年(大正12年)4月1日 - 大村中学校から独立し、「長崎県立諫早中学校」と改称。新築校舎に移転。
1928年(昭和3年)3月23日 - 昭和天皇の即位を記念し、御大礼記念図書館が設立される。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、「長崎県立諫早高等学校」(男子校)と改称。
旧制諫早高等女学校
1911年(明治44年)4月1日 - 「北高来郡立諫早実科高等女学校」が設立(この年が学校創立年とされる)[11]。
1920年(大正9年)4月1日 - 県立移管及び改編により、「長崎県立諫早高等女学校」と改称。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、「長崎県立諫早女子高等学校」(女子校)と改称。
旧制諫早商業学校
1941年(昭和16年)4月1日 - 「長崎県立諫早商業学校」が開校。
1944年(昭和19年)4月1日 - 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により、「長崎県立諌早航空工業学校」に転換[12][13]。