長崎県交通局
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長崎県交通局
Transportation Bureau of Nagasaki Prefecture

長崎県交通局本局
種類地方公営企業
略称長崎県営バス、県営バス
本社所在地 日本
850-0043
長崎県長崎市八千代町3-1
設立1934年3月24日
業種陸運業
事業内容乗合バス事業、高速バス事業、貸切バス事業、駐車場事業
代表者交通事業管理者(交通局長)太田彰幸[1]
資本金6億8,537万3,000[2]
売上高54 億8,894万6,000円[2]
(事業収益[3]、2019年度)
営業利益△10億7,984万7.000円[2]
(2019年度[4]
純利益△2億6,571万7,000円[2]
(総収支[5]、2019年度)
純資産22億6,317万2,000円[2](剰余金、2019年度)
総資産94億2,936万5,000[2](2019年度)
従業員数372名 (令和5年4月1日現在)[1]
主要子会社長崎県央バス
長崎県営バス観光
外部リンク ⇒http://www.keneibus.jp/
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長崎県交通局(ながさきけんこうつうきょく)は、長崎県で「長崎県営交通事業の設置等に関する条例」(昭和41年12月20日長崎県条例第51号)に基づきバス事業を運営している地方公営企業である。通称長崎県営バスまたは県営バス。およそ400両の車両を保有するバス事業者公営バス)であり、県が運営するバス事業としては日本唯一の存在である。
概説

1934年(昭和9年)3月16日、全国初の国立公園である雲仙国立公園が誕生した際に、旅客輸送の手段として設立された。長崎県の観光振興という設立目的から、公営事業者でありながらも貸切高速バス事業を展開しており、九州内の公営バス事業者では唯一の九州高速バス予約システム運営委員会発足当時からの加盟事業者でもある。

都道府県単位で公共交通機関を運営しているのは東京都東京都交通局[6])と長崎県のみであり、県営としては日本唯一である。地元では単に県営バスとも称され、公式サイトのURLも「www.keneibus.jp」である。

営業キロ数は2013.69kmで、全国の公営バスの総営業キロ数の2割を占め、第1位である[いつ?]。
沿革県営自動車発足時のバスと乗務員
(1934年3月24日)

1933年昭和8年)12月4日 - 通常長崎県会(現 長崎県議会)において県営バス創業に関する議案が原案通り可決される[7]

当時の長崎県の財政は窮迫しており、県営バスの開業により税外収入を確保するねらいがあった。

当時、島原方面への自動車営業者の中には民間事業を圧迫するものとして県営バス創業に反対する意見があったため、長崎市会(現 長崎市議会)で同日以下のような建議案が可決し、長崎市側の善処が要望された。

建議の内容 - 長崎市と雲仙間の交通はとても不便であることが認められる。それに加え、来年の春には国際産業観光博覧会の開催により、長崎市と雲仙間の交通が今までにないほど頻繁になることが予想される。よって長崎市理事者にはこの際、県営バスの実現に関し、急速に適切有効な努力を払われることが望まれる。

1934年(昭和9年)

1月23日 - 共栄自動車の路線・営業権を買収[8]

1月24日 - 崎陽自動車の路線・営業権を買収[8]

1月25日 - 梅崎自動車の路線・営業権を買収[9]

1月26日 - 長諫自動車の路線・営業権を買収[9]

2月28日 - 温泉自動車の路線・営業権を買収[9]

3月10日 - 県営バス事業の起債が認可される[7]

3月24日 - 長崎・諫早・雲仙地区のバス事業者5社を買収し長崎県営自動車を設立。長崎県営自動車運輸事務所を設置し、長崎・諫早間のバス事業を開始[7]

5月6日 - 雲仙直通バスの運行を開始[7]


1937年(昭和12年)7月27日 - 小浜営業所を開設[7]

1941年(昭和16年)

1月10日 - 県が雲仙小浜バス株式の過半数を取得[10]

3月1日 - 雲仙出張所を開設[10]

3月31日 - 雲仙小浜バスのバス事業を受託[10]

6月1日 - 長崎県自動車局に改称[10]

12月1日 - 大村出張所を開設[10]

12月24日 - 大村地区の路線の運行を開始[10]


1942年(昭和17年)3月19日 - 島原市内線の運行を開始[10]

1943年(昭和18年)

7月13日 - 雲仙小浜バスの路線・営業権を買収[10]

12月1日 - 諫早営業所開設[11]


1943年(昭和19年)2月21日 - 島原自動車の路線・営業権を買収[12]

1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市に原子爆弾が投下され、大きな被害を受ける。

1947年(昭和22年)

1月25日 - 長崎県営バス全線復活。長崎・小浜・諫早線を中心に戦前に近い状態に戻る。

7月29日 - 長崎県交通局に改称[12]


1948年(昭和23年)5月11日 - 長崎県公共事業部に改称。

1949年(昭和24年)

4月25日 - 1944年(昭和19年)7月11日以来運休[12]になっていた大波止線を再開。

8月1日 - 民間会社所有の網場‐小浜‐京泊間の航路および船舶を買収。

12月29日 - 長崎市内4路線の運行を開始。


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