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野母商船株式会社
Nomo Shosen K.K.種類株式会社
本社所在地 日本
〒850-0035
長崎県長崎市元船町17番3号
設立1929年12月20日(創業は1910年12月5日)
業種海運業
法人番号3310001001715
代表者村木昭一郎(代表取締役社長)
資本金1,050万円
純利益332万8000円(2018年12月31日時点)[1]
総資産9億8604万5000円(2018年12月31日時点)[1]
主要子会社津吉商船、野商商事
関係する人物村木清三郎(創業者)
外部リンクhttps://www.nomo.co.jp/
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野母商船株式会社(のもしょうせん)は、長崎県長崎市に本社を置く海運会社。野母商船グループの中核企業である。
社名は前身の村木汽船部が長崎・大波止と西彼杵郡野母村(現在の長崎市野母崎)間の旅客航路を開設していたことに由来するが、現在は野母港への路線は保有していない。 子会社が運航している航路も併せて掲載する。
沿革
1910年(明治43年)9月27日 - 片岡茂八が長崎交通船株式会社を設立[2]し、大波止?旭町・飽の浦間の定期旅客運航を開始
1910年(明治43年)12月5日 - 村木清三郎が「村木汽船部」の名称で海運事業を開始
1913年(大正2年)3月 - 長崎交通船、航路を小榊村と福田村へ延長
1916年(大正5年) - 村木汽船部、長崎?野母間の旅客航路を開設
- 長崎交通船、式見・三重航路を開設
1925年(大正14年)4月 - 長崎交通船、長崎近海汽船株式会社を設立し、三重・式見航路を分離[3]
1929年(昭和4年)12月20日 - 村木汽船部、株式会社化し社名を「野母商船」とする
1930年(昭和5年) - 長崎交通船、神楽島汽船を吸収合併[4]
1930年(昭和5年)8月 - 野母商船、博多?上五島航路開設
1930年(昭和5年)12月10日 - 野母商船、本店を西彼杵郡時津村浦郷443番地に移転[5]
1931年(昭和6年)3月28日 - 野母商船、本店を西彼杵郡時津村浦郷448番地に移転[6]
1932年(昭和7年)6月18日 - 長崎交通船、長崎沿海汽船を吸収合併し、本店を長崎市元船町五丁目16番地5号に移転[7]
1937年(昭和12年)4月 - 長崎交通船、長崎港内航路を長崎市に譲渡
1938年(昭和13年)5月 - 長崎交通船、伊王島航路を開設
1939年(昭和14年)5月 - 野母商船、上海?新江?南京の揚子江航路を開設
1943年(昭和18年)6月 - 野母商船、マニラ?イロイロ?セブ?ダバオのフィリピン航路を開設するが、太平洋戦争激化で揚子江航路と共に船舶を失い短期間で廃止
1945年(昭和20年)4月 - 長崎交通船、新興汽船に社名変更
1950年(昭和25年)4月 - 新興汽船、乗合バスとの競争激化により新興運輸へ社名を変更し、バス事業への参入許可を申請
1953年(昭和28年)3月 - 新興運輸、長崎自動車に吸収合併され長崎自動車海運部となる
1955年(昭和30年)4月 - 長崎自動車、海運部を分社化し長崎汽船株式会社とする
1960年(昭和35年) - 野母商船、長崎 - 野母航路の野母崎半島沿岸部を廃止、長崎 - 高島 - 端島航路となる
1961年(昭和36年)4月1日 - 野母商船、長崎 - 高島航路で国鉄との連絡運輸を開始[8]
1961年(昭和36年)7月 - 野母商船、長崎自動車から長崎汽船を買収し子会社化
1962年(昭和37年) - 三菱鉱業の社船が廃止され、野母商船が高島・端島唯一の定期航路となる[9]
1965年(昭和40年)3月 - 野母商船、貨客船「太古丸」が博多?上五島?福江航路で就航
1967年(昭和42年) - 長崎汽船、長崎市の長崎港観光遊覧船事業を譲り受ける
1968年(昭和43年)3月1日 - 津吉商船、津吉 - 相浦航路にカーフェリー「第拾壱津吉丸」就航[10]
1972年(昭和47年)10月 - 野母商船、長崎?香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(初代)就航
1974年(昭和49年) - 野母商船、端島炭鉱の閉山による端島の無人化に伴い、寄港を廃止の上、航路を高島商船に移管
1976年(昭和51年)3月 - 長崎汽船、野母商船グループの高島商船を合併し、航路を統合する[9]
1979年(昭和54年)5月 - 野母商船、博多?五島航路に「フェリー太古」・「フェリー清信」就航
1982年(昭和57年)7月 - 長崎汽船、長崎港観光遊覧船事業を長崎汽船観光株式会社に分社
1990年(平成2年) - 野母商船、'90長崎旅博覧会に合わせ尾上?松が枝間シャトルポートを運航
1992年(平成4年)10月 - 野母商船、博多?五島航路に大型旅客フェリー「太古」(初代)就航
2000年(平成12年)4月12日 - 津吉商船、津吉 - 相浦航路を旅客船化の上、佐世保へ延航。「コバルト21」就航
2004年(平成16年)7月 - 野母商船、長崎?香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(2代)就航
2014年(平成26年)7月 - 野母商船、博多?五島航路に大型旅客フェリー「太古」(2代)就航、就航と同時に若松港への寄港を終了
2016年(平成28年)1月 - 北松通運が福岡運輸ホールディングスに買収され、野母商船グループから離脱[11]
2019年(令和元年)9月 - 野母商船、長崎?香焼航路を廃止[12]
2019年(令和元年)12月 - 野母商船、野母商船グループの長崎汽船と野母商船を存続会社として合併[13]
2021年(令和3年)10月 - 津吉商船、佐世保?相浦?前津吉航路に高速船「つよし」就航[14]
航路
運航中の航路
野母商船
博多?上五島・福江航路
博多港(博多埠頭・福岡市) - 宇久島・平港(佐世保市) - 小値賀島・笛吹港(小値賀町) - 中通島・青方港(新上五島町) - 奈留島・奈留港(五島市) - 福江島・福江港(五島市)
福江発の便は奈留港に寄港しない。原則として毎日1往復しているが、月により第4月曜日が休航となる場合がある。
長崎?伊王島・高島航路