長崎俊一
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ながさき しゅんいち
長崎 俊一
生年月日 (1956-06-18)
1956年6月18日(67歳)
出生地 日本 神奈川県横浜市
職業映画監督
ジャンル映画オリジナルビデオ
配偶者水島かおり

 受賞
東京国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
1989年誘惑者
その他の賞
ヨコハマ映画祭
作品賞
1988年ロックよ、静かに流れよ
監督賞
1988年『ロックよ、静かに流れよ』

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長崎 俊一(ながさき しゅんいち、1956年6月18日[1] - )は、日本映画監督。妻は女優水島かおり[2]
経歴

神奈川県横浜市出身[1]栄光学園の高校生だった頃から、8ミリ映画の製作に取り組み、文化祭で上映するなどしていた[3]。小説家の保坂和志とは同級生であり、映画制作仲間でもあった[3]

日本大学藝術学部映画学科に在学中の1978年、『ユキがロックを棄てた夏』を監督する[4]。同作は、現在のぴあフィルムフェスティバルの前身である第2回ぴあ展「自主制作映画展」で入賞した[5]

1980年、秋からATG作品『九月の冗談クラブバンド』の撮影に入るが、事故で負傷し撮影を中断する[3]。1982年、劇場用映画の初監督作品『九月の冗談クラブバンド』が公開される[6]。1986年、日本人では初めてサンダンス・インスティテュート(英語版)に招かれ、研修の機会を得た[7]

1991年、『誘惑者』がサンダンス映画祭にて上映される[8]。2005年、山崎まさよし主演の『8月のクリスマス』を手がける[9]
フィルモグラフィー
映画

夢子惨死(1977年) - 監督・脚本・製作

ユキがロックを棄てた夏(1978年) - 監督・脚本・製作・編集

クレイジィ・ラブ(1978年) - 監督・製作

ハッピーストリート裏(1979年) - 監督・脚本・製作・編集

映子、夜になれ(1979年) - 監督・脚本・製作

風たちの午後(1980年) - 脚本・製作

闇打つ心臓(1982年) - 監督・脚本

その後(1982年) - 監督・脚本

九月の冗談クラブバンド(1982年) - 監督・脚本・編集

ロックよ、静かに流れよ(1988年) - 監督・脚本

妖女の時代(1988年) - 監督

誘惑者(1989年) - 監督

三月のライオン(1992年) - 出演

J MOVIE WARS ワイルドサイド(1993年) - 監督・脚本

ナースコール(1993年) - 監督

ロマンス(1996年) - 監督・脚本

ドッグス(1997年) - 監督・脚本・編集

死国(1999年) - 監督

柔らかな頬(2000年) - 監督・脚本[10]

闇打つ心臓 Heart, beating in the dark(2005年) - 監督・脚本[11][12]

8月のクリスマス(2005年) - 監督・脚本

黒帯 KURO-OBI(2006年) - 監督

西の魔女が死んだ(2008年) - 監督・脚本

少女たちの羅針盤(2011年) - 監督

唇はどこ?(2015年) - 監督

いつか、いつも……いつまでも。(2022年) - 監督[13]

テレビドラマ・配信

最期のドライブ 富山長野女子高生・OL連続誘拐殺人事件(1992年、フジテレビ)- 監督

李歐(2001年、WOWOW) - 監督

撃てない警官(2016年1月 - 2月、WOWOW) - 監督

居酒屋ふじ(2017年7月 - 9月、テレビ東京) - 監督

MAGI -天正遣欧少年使節-(2018年 AMAZON PRIME VIDEO)- 監督

神酒クリニックで乾杯を(2019年1月 - 3月、BSテレ東) - 監督


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