長崎セインツ
[Wikipedia|▼Menu]

長崎セインツ
創設
2007年[1]
解散2010年
所属リーグ
四国・九州アイランドリーグ(2008年 - 2010年)
歴代チーム名



長崎セインツ(2008年 - 2010年

本拠地
佐世保野球場佐世保市) - チーム方針として正式な本拠は設けておらず、事実上の本拠地としての位置づけ。本文参照
収容人員12,000人
長崎県(2008年 - 2010年)
永久欠番
なし
獲得タイトル
リーグ優勝(1回)
2009前
球団組織
オーナー地頭薗哲郎(解散時)
監督古屋剛(解散時)
テンプレートを表示

長崎セインツ(ながさきセインツ、Nagasaki Saints)は、かつて存在した日本野球チーム。長崎県を本拠地としてプロ野球独立リーグ四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)に所属していた。略称「長崎S」。

2008年加盟。2010年のシーズンをもってリーグを脱退。運営会社の株式会社県民球団長崎セインツは、2010年12月に破産した。
概要

元佐世保市職員で、佐世保で事業を営んでいた地頭薗哲郎が、長崎市姉妹都市である米国セントポール市のセントポール・セインツアメリカン・アソシエーション)に触発されて独立リーグチームを企図したことで誕生した[2]。このため、チーム名はセントポール・セインツが由来で、ロゴマークのライセンス契約を結んでいた(ただし、長崎のロゴカラーは黄色でセントポールの青色とは異なる)。四国・九州アイランドリーグの中では唯一、英単語一語の名称だった。セイントが聖人を意味することから、キリスト教関連遺産世界遺産登録を目指している長崎のPRにつながるとの配慮もあったという[要出典]。

本拠地については公式に定められていなかったが、2008年は40試合中佐世保野球場で31試合、2009年は34試合、2010年は38試合中36試合が開催されており、事実上の本拠地球場であった。このほか、長崎県営野球場(ビッグN)・平戸赤坂野球場・長崎市総合運動公園かきどまり野球場でも開催された[3]。初年度の2008年は島原市営球場熊本県藤崎台県営野球場でも試合が実施された。なお、雨による日程変更で対徳島インディゴソックス戦を、2008年前期には徳島県営蔵本球場で、2010年前期は徳島県南部健康運動公園野球場で1試合ずつ、それぞれ主催試合として開催した。
成績
シーズン

年度期監督順位試合勝利敗戦引分勝率ゲーム差打率防御率本塁打
2008河埜敬幸6408248.25016.0.2253.3513 
島田誠前田勝宏54018211.4616.0
2009長冨浩志14022126.6472.5(注).2703.2248
後長冨浩志44017176.5005.0
2010前長冨浩志・古屋剛53813232.36112.0.2483.4226 
後古屋剛53811243.31413.5

※金地は優勝

注:2位とのゲーム差

リーグチャンピオンシップ

2009年 - 0勝3敗(対戦は高知)

歴史
アイランドリーグ加盟まで

前身は社会人野球のクラブチーム・佐世保ドリームスターズ。成績が振るわなかったために「クラブチームでは限界がある」として2006年10月に同チームを発展的に解消。選手全員の所属を解いて新たに選手を募集し直し、無所属のチームとして発足した。当時、選手らはハウステンボスなどで働きながら野球に臨んでいた。

総監督に歌手の前川清を迎え、2007年3月31日に初の試合をおこなう。対戦相手は萩本欽一率いる茨城ゴールデンゴールズ。7月7日に四国アイランドリーグ選抜チーム・ドリームスと交流試合をおこなった[4]

8月27日は四国へ遠征し高知市で四国IL・高知ファイティングドッグス[5]、翌8月28日にさぬき市志度総合運動公園野球場香川オリーブガイナーズ徳島インディゴソックス合同チームと[6]練習試合をおこなった。

無所属チーム時代の監督は初代の古賀豪紀、2代目の池辺巌を経て元福岡ソフトバンクホークス2軍コーチの河埜敬幸が就任し、河埜はそのまま四国・九州アイランドリーグ加入後の初代監督となった。チームアドバイザーは福本豊


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef