長島_(岡山県)
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長島
長島の航空写真。国土交通省 「国土画像情報(カラー空中写真)」を基に作成。
所在地日本岡山県
所在海域瀬戸内海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分31.3969秒 東経134度14分31.9022秒 / 北緯34.675388028度 東経134.242195056度 / 34.675388028; 134.242195056座標: 北緯34度40分31.3969秒 東経134度14分31.9022秒 / 北緯34.675388028度 東経134.242195056度 / 34.675388028; 134.242195056
面積3.51 km²
海岸線長18 km
最高標高99 m
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}長島長島 (岡山県)岡山県の地図を表示長島長島 (日本)日本の地図を表示
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長島(ながしま)は岡山県瀬戸内市にある。虫明湾の南東に位置する。日生諸島に属するとされる[1]が、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}北の鴻島や東の大多府島との間に旧郡境(現在は市境)があり、長島は日生諸島には該当しない[要出典]ともされる。
歴史

中央部の船越は、屋島の戦いの後に源義経の船が長島に吹き寄せられ、武蔵坊弁慶が船を引き越した地であるという伝説がある[2]大正時代は島内のほとんどが山林で、中部より西側に水田が点在し、20世帯余りが住んでいた。ボラ敷網が有名だったが1960年頃から衰退し、代わって鴻島との間ではカキ養殖が盛んになった。

本土の丘陵との間には、最狭部44メートルの「瀬溝の瀬戸」がある。全島が山地で、南東部などは海食崖となっている。谷状の島の中央部を境に東西に分かれている。西部は古生層の砂岩、中心部は花崗岩で、東部はわずかに流紋岩がある。

一方、1929年7月18日から日本初の国立ハンセン病療養所の建設が始まった。この際に、村有地や民有地の殆どが大日本帝国政府に買収され、従来からの島民居住者は居なくなった。収容人員400名を目標にして1930年11月20日に日本初の国立ハンセン病療養所が開設され、翌年1931年3月3日に内務省告示第29号をもって、その名称が国立療養所長島愛生園と定まった。

ハンセン病患者の収容は1931年3月27日から始まったが、予定を超えて1943年には2,000人以上が収容されていた。また1938年には大阪府から公立らい療養所(外島保養院)が長島に移転し、1941年に国に移管され国立療養所邑久光明園となっている。こちらには、最盛期で1,000名のハンセン病患者が収容されていた。

この2つの療養所の施設として、病棟、患者・職員の住宅、作業場、慰安・娯楽施設、看護学校などが建設された。また、以前からの農耕地が患者の農園となった。水道水は本土の吉井川から水道管で送られている。本州から僅か22メートルの距離にありながら、ハンセン病への差別・偏見によって隔絶されていたが、岡山県道224号瀬西大寺線の工事で、全長185メートルの『邑久長島大橋(通称:人間回復の橋)』が、1988年昭和63年)5月9日に開通して、本州と陸続きになった。その際、本土と長島を隔てる瀬溝は22メートルから44メートルに拡張された。

1996年らい予防法廃止によって、ハンセン病患者の入所は義務ではなくなったが、長期間の隔離によって出所は困難になっており、2019年12月の時点で2つの国立ハンセン病療養所には合計226名のハンセン病回復者が入所している。
交通アクセス

赤穂線邑久駅より東備バス。所要は約40分

参考文献

『角川日本地名大辞典 33.岡山県』 角川書店、1986年

脚注[脚注の使い方]^ “日生諸島とは”. コトバンク. 2020年11月27日閲覧。
^ 『邑久郡誌』

関連項目

国立療養所長島愛生園

国立療養所邑久光明園
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