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長山 洋子
基本情報
出生名長山 洋子
生誕 (1968-01-13) 1968年1月13日(56歳)
出身地 日本・東京都大田区
学歴堀越高等学校卒業
ジャンル演歌
アイドル歌謡曲
職業歌手
女優
担当楽器ボーカル
津軽三味線
活動期間1984年 -
レーベルJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
事務所バーニングプロダクション
公式サイト長山洋子オフィシャルサイト NEW YOKO TIMES
著名使用楽器
三味線
長山 洋子(ながやま ようこ、1968年1月13日 - )は、日本の演歌歌手・女優・アイドル。津軽三味線の澤田流の名取でもある。 1984年にシングル「春はSA-RA SA-RA」でデビューし、1990年頃までアイドル歌手として活動した。その後女優としての経験も積んだが、1993年に「蜩 - ひぐらし -」で演歌歌手として再デビューする。1995年に「捨てられて」がリリースされ、現在の地位を築いた。 現在は演歌歌手をメインとして活動しているが、アイドル歌手としてデビューしたこともあって活動ジャンルは幅広く、芝居では喜劇役者としての側面も見せる。演歌歌手に転じて10年が経った2003年暮れに放送された「ザ・ベストテン2003」(TBSテレビ)ではアイドル時代にヒットした「ヴィーナス」をドレス姿で歌唱して当時の歌を解禁し、2009年に期間限定でアイドル活動を復活させた。以後も時々に懐メロ特番や自身のコンサートなどで「ヴィーナス」等、ポップス系歌謡曲を歌唱している[2]。 音楽との出会いは早く、4歳の頃、父親が通っていた民謡教室に行ったことがきっかけだった。民謡に心惹かれ、民謡教室に通うことになるが、10歳の時に民謡教室の講師の勧めで、三味線を始める。現在でも、父親に買ってもらった三味線を愛用している。アイドル歌手としてデビューする以前にビクター少年民謡会の一員として活動。ビクター少年民謡会としてリリースしたシングルに「ホームラン音頭」がある[注 1][3]。「タイムボカンシリーズ ヤットデタマン」挿入歌「ヤットデタマンブギウギ音頭」(歌・山本正之)の録音にビクター少年民謡会として参加。 当時は「8時だョ!全員集合」の子供達が講師となってゲストに民謡を教えるコーナーで講師役として登場していた。ほかドリフのコント番組「ドリフ大爆笑」(フジテレビ)にもたびたびゲスト出演している。 当初は演歌歌手としてデビューする予定で、ボイストレーニングを重ね順調に歩み続けていた。ところが、幻のデビュー曲となった「雪国」のレコーディングの段階に入った頃、「16歳の長山にはまだ演歌は早すぎる」との見方が事務所スタッフ達の中で強まったため路線を急遽変更し、1984年4月に女性アイドル歌手として「春はSA-RA SA-RA」でデビューした[4]。その時のキャッチフレーズは『ぼくの青春(とき)をとめる、少女がいた』だった。NHK「レッツゴーヤング」のサンデーズのメンバーとして1985年4月から 1986年4月までの1年間活動。番組内では5枚目のシングル 「ゴールドウィンド」が レッツヤンオリジナルとして1985年の夏に歌われた。 アイドル歌手としてその後何枚かレコードを発売するも、しばらくはセールス的に伸び悩んだ。しかし1986年5月、黛ジュンのカヴァー曲「雲にのりたい」がスマッシュ・ヒット。
概要
経歴
誕生からデビュー前まで
アイドル歌手
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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