長尾景恒
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 凡例長尾景恒
時代南北朝時代室町時代前期
生誕不明
死没貞治6年(1367年
別名景廉、景春
官位弾正左衛門尉?
幕府室町幕府 越後守護代
主君上杉憲顕
氏族長尾氏
父母父:長尾景為?、母:佐原明連娘?
養父:長尾景忠?
兄弟景恒、景直景忠?
子新左衛門尉長景、高景、依景、
景晴(秀景)、宇佐美伯耆守
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長尾 景恒(ながお かげつね)は、南北朝から室町時代前期にかけての武将上杉氏の家臣。越後長尾氏の祖。実弟に鎌倉・足利長尾氏の祖・景直
出自

その出自、及び養父である関東長尾氏の祖・景忠との関係については以下の諸説がある。

長尾藤明(あるいは藤景)の子で景忠とは兄弟であったとする説。長尾景為の息子で景忠とは兄弟であったとする説。

別の長尾氏出身で、景忠とは従兄弟若しくは親戚であり、その実父である景為の養子となったとする説。

略歴

景恒は上杉憲顕の家臣として活躍し、『太平記』には長尾弾正という名で登場する。越後国守護代の地位を景忠から養子という形で譲り受けた。これが越後長尾氏の始まりである。

景恒には4人の男子がおり、その中で三男の依景は早世したが、長男の長景は上田長尾家の祖となり、次男の長尾高景三条長尾家、府中長尾家の祖となり、三男の長尾景晴 (秀景)は古志長尾家の祖となって発展していった。










越後長尾氏(守護代家)当主当主
三条/府中長尾家

景恒

高景

邦景

頼景

重景

能景

為景

晴景

景虎 | 断絶(山内上杉家へ)

分家・支流
上田長尾家

長景

房景

憲景(景良?)

憲長(景実?)

景隆

房長

政景

顕景 | 断絶

古志長尾家

景晴

宗景

(秀景?)

四郎

孝景

房景

河田長親) | 断絶

※上田長尾家、古志長尾家の当主は系図によって諸説ある



更新日時:2019年1月14日(月)09:44
取得日時:2021/03/02 14:32


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