長尾三郎_(作家)
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長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年[1])は、日本ノンフィクション作家
生涯

福島県生まれ[1]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}福島県立福島高等学校を経て[要出典]、早稲田大学第一文学部演劇科中退[1]

大学在学中より著述業に入る[1]講談社系の週刊誌女性自身』『週刊現代』等で記者として活動。当時の経験については、後に『週刊誌血風録』(2004年)にまとめられている。

1985年、加藤保男の評伝『エベレストに死す』が第7回講談社ノンフィクション賞の候補作に挙げられる[2]1986年植村直己の評伝『マッキンリーに死す』で第8回講談社ノンフィクション賞を受賞[2]

2006年がんのために死去[1]
主要な著書

『若者は叛逆する 純粋戦後派世代の思想と行動』(明文社、1969年)

団塊世代まかり通る!! 日本を動かすミドルパワー』(グリーンアロー出版社、1983年)

エベレストに死す 天才クライマー加藤保男の栄光と悲惨』(講談社、1984年)

『エベレストに死す 天才クライマー加藤保男』(講談社〔講談社文庫〕、1987年)


マッキンリーに死す 植村直己の栄光と修羅』(講談社、1986年)

『マッキンリーに死す 植村直己の栄光と修羅』(講談社〔講談社文庫〕、1989年)


『二つの墓標 逆転の軌跡』(講談社、1988年)

改題『鎮魂 企業幹部自殺』(徳間書店〔徳間文庫〕、1996年)


『生き仏になった落ちこぼれ 酒井雄哉大阿闍梨の二千日回峰行』(講談社、1988年)

『生き仏になった落ちこぼれ』(講談社〔講談社文庫〕、1992年)


『精鋭たちの挽歌 「運命のエベレスト」1983年10月8日』(山と渓谷社、1989年)

『精鋭たちの挽歌 運命のエベレスト1983年10月8日』(山と渓谷社〔ヤマケイ文庫〕、2013年)


『飛天の夢 古寺再興』(朝日新聞社、1990年)

改題・文庫化『古寺再興 現代の名工・西岡常一棟梁』(講談社〔講談社文庫〕、1995年)


『氷海からの生還』(講談社、1987年)

『氷海からの生還』(講談社〔講談社文庫〕、1990年)


『日本人の魂を彫る 「夢の王国」をもとめた松久朋琳・宗琳の心の遍歴』(講談社、1990年)

改題・文庫化『魂を彫る 鑿に賭けた大仏師父子の「心の王国」』(講談社〔講談社文庫〕、1996年)


『植村直己 大自然にいどむ』(講談社〔講談社火の鳥伝記文庫〕、1990年)

『対決 大老vs.開国商人』(講談社、1992年)

『神宮の森の伝説 六〇年秋早慶六連戦』(文藝春秋、1992年)

『神宮の森の伝説 六〇年秋、早慶六連戦』(文藝春秋〔文春文庫〕、2004年)


『娑婆に還った生き仏 酒井雄哉大阿闍梨の加持行脚』(講談社、1993年)

『虚構地獄 寺山修司』(講談社、1997年)

『虚構地獄 寺山修司』(講談社〔講談社文庫〕、2002年)


『人は50歳で何をしていたか』(講談社、2000年)

改題『人は50歳で何をなすべきか』(講談社〔講談社文庫〕、2003年)


『激しすぎる夢 「鉄の男」と呼ばれた登山家・小西政継の生涯』(山と渓谷社、2001年)

『忘己利他』上下(講談社、2002年)

『無酸素登頂8000m14座への挑戦 スーパークライマー小西浩文の愛と墓標』(講談社、2003年)

『週刊誌血風録』(講談社〔講談社文庫〕、2004年)

共著・編著

上温湯隆/著、長尾三郎/編『サハラに死す 上温湯隆の一生』(講談社〔講談社文庫〕、1987年)

上温湯隆/著、長尾三郎/構成『サハラに死す 上温湯隆の一生』(山と溪谷社〔ヤマケイ文庫〕、2013年)


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