おさない みなこ
長内 美那子
本名宗像 美那子
生年月日 (1939-02-17) 1939年2月17日(85歳)
出生地 日本・青森県弘前市
職業女優
ジャンルテレビドラマ・映画・舞台
配偶者宗方勝巳(1967年 - )
主な作品
テレビドラマ
『愛染かつら』
『暴れん坊将軍VIII』
『葵 徳川三代』
テンプレートを表示
長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月17日[1] - )は、日本の女優。本名、宗像 美那子[1]。旧姓名は芸名と同じ[1]。身長155cm、体重41kg。夫は俳優の宗方勝巳[1]。
青森県弘前市出身[1]。青森県立弘前高等学校[1][2]、共立女子大学卒業[1][2]。プロマージュ、アイティ企画所属(業務提携)。 大学進学と同時に演劇部に入部[2]。 在学中の1959年に劇団青年座に所属し、1960年の舞台『八段』でデビュー。1971年に退団するまで『天一坊七十番』『肥前風土紀』などの舞台に出演する[1]。
人物
1965年、ライオン奥様劇場(フジテレビ)で放送された『愛染かつら』のヒロイン・高石かつ枝役で一躍脚光を浴びる。『愛染かつら』は平均視聴率28%を獲得している[1]。当時の人気を紹介した記事の中で「現代離れした内容なので最初は受けるとは思いませんでしたが、女学生からのファンレターが殺到して驚きました」と述べている[3]。
宗方勝巳とは、1966年のライオン奥様劇場の『古都』の共演がきっかけで1967年に結婚し、二男がいる[1]。
戦争朗読劇『この子たちの夏』をライフワークとしている。
出演
テレビドラマ
ここに人あり 第149回「歩く男」 (1960年8月10日、NHK)
NECサンデー劇場「妻なればわれも粧わん」(1961年2月12日、NET)
東芝日曜劇場(TBS)
第255回「壬申の乱」(1961年10月15日)
第516回「葛飾の女 前編」(1966年10月23日)
第517回「葛飾の女 後編」(1966年12月30日)
第690回「本当の本妻」(1970年3月1日、RKB) - 愛人・久子 役
第699回「こどもが帰ったあとからは1」(1970年5月3日)
第751回「こどもが帰ったあとからは 最終回」(1971年5月2日)
日立ファミリーステージ「隠れた顔」(1961年11月21日、TBS)
暗穴道(1962年9月22日、NHK)
出世物語(1962年10月31日、NHK)
柔道一代(1962年12月 - 1964年10月、TBS)
名作推理劇場「囁く死体」(1963年4月14日、NET)
浪曲ドラマ「鬼火の宴」(1963年7月10日、NHK)
新日本百景 第29回「牙 秋吉・萩」(1963年11月15日、NHK)