長井秀和
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永井秀和」あるいは「長江英和」とは別人です。

日本政治家長井 秀和ながい ひでかず
2022年12月撮影
生年月日 (1970-01-03) 1970年1月3日(54歳)
出生地 日本 東京都武蔵村山市
出身校創価大学文学部
前職お笑いタレント
所属政党無所属
親族父・長井孝雄(元・武蔵村山市議会議員)
西東京市議会議員
当選回数1回
在任期間2023年1月21日 - 現職
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長井 秀和(ながい・ひでかず)
本名長井 秀和(ながい・ひでかず)
生年月日 (1970-01-03) 1970年1月3日(54歳)
国籍日本
出身地 日本東京都武蔵村山市
血液型O型
身長170cm
言語日本語
方言共通語
最終学歴創価大学文学部
芸風漫談
活動時期1992年 -
同期土田晃之
ジャリズム
メッセンジャー
ココリコ
オアシズ
TKO
古坂大魔王
過去の代表番組F2スマイル
スパスパ人間学!
メンB
他の活動西東京市議会議員
英会話講師
配偶者一般女性(1999年 - 2008年
ドイツ人女性(2017年 - 2020年
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長井 秀和(ながい ひでかず、1970年(昭和45年)1月3日 - )は、日本政治家お笑いタレント漫談家ピン芸人)、実業家飲食店経営)。2022年(令和4年)12月から西東京市議会議員(無所属、1期目)を務めている。東京都西東京市に在住している。
経歴
出生から大学卒業まで

1970年(昭和45年)1月3日に東京都北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)で生まれる。父親は聖教新聞販売店の店主の創価学会の幹部で、のちに武蔵村山市議会議員(公明党の所属)を務めた長井孝雄(ながい・たかお)。母親は専業主婦だった。両親が創価学会員だった為に、長井秀和も生まれた時からの創価学会員だった。2012年(平成24年)に創価学会を脱会して辞めた[1]

当初は地元の公立の小学校に通っていたが、1978年の小学校3年生の時に、私立東京創価小学校の開校に伴って小学校3年生から編入学した。以降、東京創価小学校から創価中学校・高等学校を卒業し、さらに創価大学文学部)を卒業した。
お笑いタレント時代

両親とは大学卒業後には教師になる約束をしていたが、「東洋のチャールズ・チャップリンを目指す」と宣言して、大学卒業後の1992年(平成4年)に22歳で「お笑い芸人」として芸能界デビューした。しかし、実際は「面白そうだから」というのが「お笑い芸人」に志望した理由であり、創価学会員である親から「浮ついている」などと批判されるのを避けるために、池田大作(名誉会長)が「偉大なる芸術家だ」と認めている喜劇俳優の「チャールズ・チャップリン」の名前を利用したという[2]

当初はパントマイムが持ち芸で路上パフォーマンスなども行っていたが、無名の時代が続き、M2カンパニー(現・ホリプロコム)を始め複数の芸能事務所を渡り歩いた後、フリーの身であったところを芸能事務所のタイタンに拾われ、後の基盤を作り上げた。

1999年11月27日にNHKテレビの「爆笑オンエアバトル」で、初挑戦にして高得点を獲得して初オンエア(3位)を勝ち取る。漫談(一人漫才)ではなく「同じ動きなのに違うこと」というタイトルのショートコントであった。約1年後の挑戦(3回目、2000年10月21日)にも、「動きネタ」でオンエア。

2000年に同居して長年連れ添い、無名時代を支えていた内縁の妻と1度目の結婚をした。


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