鐵砲洲稲荷神社
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鐵砲洲稲荷神社

本殿
所在地東京都中央区湊一丁目6-7
位置北緯35度40分20.8秒
東経139度46分47秒座標: 北緯35度40分20.8秒 東経139度46分47秒
主祭神稚産霊神豊受姫大神宇迦之御魂大神
社格等旧郷社
創建承和8年4月15日
別名湊稲荷
例祭例大祭(5月2日?5日
主な神事寒中水浴大会(1月第2日曜日)
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名所江戸百景
鉄炮洲稲荷橋湊神社 鉄砲洲富士

鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)は東京都中央区にある稲荷神社平安時代創建の古社で、京橋地域の産土神である。
目次

1 歴史

2 鉄砲洲富士

3 年間行事

4 氏子町

4.1 氏子地域


5 交通

6 外部リンク

歴史

平安時代承和8年4月15日ユリウス暦841年5月9日)、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことに始まる。

入江埋立に伴い京橋に遷座し、更に室町時代末期の大永年間に後の新京橋(現・銀座一丁目付近)へ遷座し、八丁堀稲荷神社と称した。

江戸時代初期の寛永元年(1624年)、桜川亀島川に合流する地点、稲荷橋南東詰(現・湊一丁目8番地付近)に遷座し、もとあった八幡神社を摂社とした。

一方、18世紀中期の『事跡合考』によれば、昔八丁堀一丁目南岸にあったが、家屋が過密になり、八丁目に移転したという。

江戸の水路網の入り口に位置することから、全国からの船乗りの崇敬を集めた。

寛政2年(1790年)には富士塚が築造され、人気を博した。

江戸時代後期には吉田家により湊神社と名付けられ、また「浪ヨケイナリ」とも称された。安政期に歌川広重が描いた『名所江戸百景』「鉄炮洲稲荷橋湊神社」には朱塗りの壁と社殿が見える。

明治元年(1868年)土地が収用され、120m程南の現在地に遷座した。

大正12年(1923年)の関東大震災では大きな被害を蒙ったが、昭和10年(1935年)以降本殿や神楽殿が再興され、現在の形が整った。昭和20年(1945年)の東京大空襲では被害を免れ、昭和初期の神社の形式を今に伝える。

昭和37年(1962年)には隣地に区内初の児童公園が完成した。
鉄砲洲富士

境内には区内唯一の富士塚がある。富士山の熔岩を用いたもので、頂上には末社鉄砲洲富士浅間神社が鎮座する。

寛政2年(1790年)に築造されて人気を集めた。『江戸名所図会』や歌川広重の『絵本江戸土産』では本殿より大きく描かれており、当時かなりの威容を誇ったと思われる。

神社遷座2年後の明治3年(1870年)に新地に移築され、明治7年(1874年)再築された。以降明治18年(1885年)、昭和3年(1928年)、昭和11年(1936年)と3度境内で移築され、現在の高さは5.4mである。

富士山の山開きに合わせて、7月1日のみ登拝が可能である。
年間行事

1月1日 - 歳旦祭

1月第2日曜日 - 寒中水浴大会 - 先代宮司の中川正光が昭和30年(1955年)に始めた。

2月3日 - 節分祭追儺式

2月8日 - 針供養 - 境内に針塚がある。

2月17日 - 豊年祈願祭

5月2日?5日 - 例大祭 - 3年毎に本祭りとなり、神輿渡御を行う。

6月30日 - 夏越の大祓

7月1日 - 富士浅間神社例祭

8月14日 - 八幡神社例祭

11月15日 - 七五三祝祭

11月23日 - 生産感謝祭

冬至 - 冬至開運祈願祭 - 「金銀富貴」の神礼を配る。

12月31日 - 師走の大祓

12月31日 - 除夜

氏子町

氏子を構成するのは京橋五之部の湊一?三丁目・明石町入船一?三丁目・新富の8町会、四之部の銀座一?五丁目東・六七丁目東・六七丁目西・八丁目東の8町会、及び新川二丁目越一(えちいち)町会(一部)の計17町会である。


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