鏡花縁
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『鏡花縁』(きょうかえん)は、清代の作家である李汝珍(中国語版)が1818年に発表した白話小説。章回形式[1]で書かれた長編伝奇小説であり全100回。

魯迅の分類によると、才学小説(才学を現すための小説)にあたる。小説の前半部は唐敖や多九公といった人々が船に乗って、「女児国」や「君子国」や「無腸国」といった奇怪な国々を巡る。この前半部はよくガリバー旅行記と引き比べられる。女子の社会的抑圧や纏足や耳の穿孔を批判している。後半部では武則天が女性のために科挙を行なって、「百花仙子」が転生させた唐小山などの花仙子たちの転生である一百の才女が合格し、朝廷で政治を行う。

タイトルの「鏡花縁」は、鏡花水月[2]という言葉から来ている。天上の仙女たちが因縁あって、人界に降り、仮に人間の姿をしている幻の世界であることを示している。
ストーリーの概略

本書は3つの部分に分けられる。第一部は、第一回から第6回までで、神が下界に生まれ変わるという神話の枠組みを使って、『鏡花縁』の物語の発端を書く。第二部は、第7回から第50回までで、文士の唐敖の海外歴訪と唐小山が父を尋ねる旅を描き、最も人気のある部分である。第3部は、第50回から始まる。第二部と第三部の時代は唐代から武周武則天時代)にかけて。舞台は、中国とその架空の周辺国である。

天界から下界に追放された百人の仙女たちが、百人の才女に転生する。百人は科挙の女試を受験し、全員が合格する。そのうちの一部がそれぞれ、仙女にもどる、女児国の王やその側近となる、唐王朝復興の義兵に加わるという次第を描く。

ストーリーの詳細については#内容を参照。人物については#登場人物を参照。
作者について

作者の李汝珍は、字は松石といい、順天府大興の出身、清代乾隆帝時代の人である。生年は1763年頃、没年は1830年頃と推測され、人生の多くを海州で過ごした。多岐にわたる学問に通じ、音韻学において特に優れていた。科挙に合格しなかったと見られるが、考証学が盛んであった時代背景を反映して、雑学にもわたる博学ぶりは鏡花縁からも窺える。1805年に「李氏音鑑」を著す。1826年頃に鏡花縁を書き上げたと見られる。
評価

本作は、魯迅の分類では、「才学小説」(才学をあらわすための小説)にあたる。作中に作者の博識な才学をいれるもので、『衒学的』、『知識をむやみにふり回している』、『相当な教育のある中国人にとっても退屈極まるもの』という厳しい評論を受けている。特に松枝茂夫は『正直のところ睡魔と闘うことだけでも手一杯だった』と述べている。

反面、男女平等論に言及し、女性を主役とする中国小説でありながら、色恋がないところに特色がある。また、科挙そのものは否定しないながらも、科挙のための学問に疑問を呈している表現を見られる。海外の架空の諸外国人の描写を通して、激しい風刺を行っており、思想の先進性が評価されている。

また、海外旅行小説といった要素もあり、この点について、松枝茂夫は『見方によればこれは非常に面白い小説』という評価をし、周作人も高く評価している。この点、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記と比較されることも多い。

評価を受ける部分のほとんどが前半部分に集中していることも特色としてあげられる。
女権の提唱

『鏡花縁』の中には、“女権提唱”的な描写が見られる。例えば第七回で小山は唐敏関に科挙の受験について尋ねる。「男に男の科挙があるのなら、女にも女の科挙があるのでしょう。私達女の科挙は何年おきにあるのですか?おじさん、説明してくださいよ。私も努力して、早いうちに準備をします。(……自然男有男科,女有女科了。不知我們女科幾年一考?求叔叔?明,姪女也好用功,早做準備。)」胡適は「李汝珍が見たのは何千年も粗略にされてきた婦女問題であり、彼はこの問題を提出した中国で最初の人間である。彼の『鏡花縁』は婦女問題を討論する小説である。(李汝珍所見的是幾千年來忽略了的婦女問題,他是中國最早提出這個問題的人,他的《鏡花縁》是一部討論婦女問題的小説。」と述べ、「この書は将来中国女権史上で光栄ある位置を占めるであろう。(此書將來在中國女權史上一定會?一個很光榮的位置。)」と考えた。

1992年、鮑家麟は「李汝珍的男女平等思想」という文章で、以下の様な『鏡花縁』の「反伝統女権」思想を指摘した。

纏足反対

外見の美の偏重反対

女子教育の提唱

女子参政の提唱

二重の貞操標準の反対

婦女の社会福利の関心

鏡花縁の種本

『鏡花縁』自体はフィクションであるが、作中の海外の国、異獣奇花には参考とした文献があり、特に訪れる国の描写は『淮南子』に記されている海外三十六国の記述、『山海経』や『博物誌 (張華)(中国語版)』などの古代地理博物小説を改編・剽窃したものである[3][4]

夏志清(中国語版)は「彼が最も関心があったのは、『山海経』や『拾遺記』や『博物志(中国語版)』などの地理典籍の中の驚くべき異国や人物や野獣をよみがえらせることであった」[5]としている。
内容
百人の花仙、人界に降りる

三月三日、西王母の誕生日に、仙女が集まる。この席で、嫦娥が百花仙子に、「百花を一斉に咲かせるように」と言う。しかし、百花仙子はこれを断る。それから、かなりの年月が過ぎ、天星心月狐という天星が下界で生まれ変わり、武則天となっていた。彼女は、徐敬業や駱賓王の反乱を鎮圧し、中宗を追い、武周をうち立て、女性の身で皇帝となる。武則天は、気まぐれで冬に「百花斉放(いろいろな花が咲く)」の命を下した。時に百花仙子麻姑と碁を打っており、洞府にいなかったので、花を司る神は武則天の命令を恐れ、次々に花を咲かせ、牡丹だけが遅れて咲き、貶しめられ洛陽に植えられた。天帝は百花仙子が陰陽を乱し,「時ならずして咲き、地上の王に媚びた(呈?於非時之候,獻媚於世主之前)」として、罰として百花仙子と九十九人の花仙(花を司る仙人)を地上に生まれ変わらせて流罪にした。そして海外をめぐり、艱難辛苦をくぐって、やっと罪が許されるとした。百人の仙人は、中国や海外の人間の女性の身に生まれ変わる。(第1回?第6回)
唐敖、海外に出発する

百花仙子は嶺南の文士の唐敖の家に生まれ変わり、唐小山として生まれた。それから十数年が過ぎ、嶺南にすむ唐敖という人物が、科挙に探花(第3位)として及第していた。しかし、徐敬業と親しくしていたという理由により、武則天によって、元の秀才(科挙受験生)にもどされる。望みを失っているところに、老人に遇い、「海外にいる12人の名花を探し出し、保護した上で、修行を行えば、小蓬莱で仙人になることができるだろう」と言われる。ちょうど、この折、妻の兄にあたる貿易商人の林之洋が海外に交易にいこうとしていた。唐敖は志願して船に乗せてもらう。また、舵工の多九公という老人は、博学で物知りであった。さらに、林之洋の妻・呂氏、娘の林婉如も同行する。(第7回?第8回)
海外、三十数か国を巡り、世を絶つ

唐敖、林之洋、多九公たちは、東口山、君子国大人国労民国聶耳国無腸国、犬封国、元股国毛民国、毘騫国、無継国深目国黒歯国小人国、蚤国、跂踵国長人国、麟鳳山、白民国、淑士国、両面国、穿胸国、厭火国、寿麻国、結胸国、炎火山、長臂国翼民国豕喙国、伯慮国、巫咸国岐舌国、智佳国、女児国、軒轅国、三苗国丈夫国を巡る。現在の世の中を風刺し、ある程度のユートピアの理想を託している。それぞれ中国と文化風習思想体型などが違い、珍しい光景を目の当たりにする。時として辛辣な時勢風刺となっている。東口山では、唐敖は空草や朱草という仙人界の薬を食べ、重い物持ち高く跳ぶことができるようになる。さらに、途上で、鮫人、蠶女、當康、果然、麟鳳、?猊などの奇異な生物を目にし、多くの奇妙な風習を知る。例えば女児国では、中国と男女の風習が入れ替わっており「男はスカートを着て、婦人となり、家事をする。女は靴や帽子を付けて、男となり、家の外で働く。(男子反穿衣裙,作為婦人,以治内事;女子反穿靴帽,作為男人,以治外事)」。君子国では、住人がすべて人格者であり、「国王は厳命を出し、もし臣民に珍しい宝を献上するものがあれば、その宝を焼き捨てない限り、刑罰に処す。(國主向有嚴諭,臣民如將珠寶進獻,除將本物燒燬,並問典刑)」、また人民は互いに礼儀正しく譲り合い、「士人も庶民も、富貴や貧賤に関わらず、挙措や言動が、恭しく礼儀正しくないものがいなかった(士庶人等,無論富貴貧賤,舉止言談,莫不恭而有禮)」。また、東口山で駱紅?、君子国で廉錦楓、元股国で尹紅萸、黒歯国で盧紫萱・黎紅薇、麟鳳山で魏紫桜、淑士国で司徒?児、両面国で余麗蓉、巫咸国で姚?馨・薛?香、岐舌国で枝蘭音、女児国で陰若花に出会い、その多くを保護する(この12人が海外に流浪していた12名花)。枝蘭音と女児国の太子である陰若花は同行することになった。途上、様々な小事件が起きる。特に、女児国では国王に林之洋が見初められ、後宮にいれられ、貴妃に任じられた上で、纏足を施されてしまう。唐敖の機略により、林之洋は解放される。丈夫国から不死国を目指す途中で、嵐にあい、小蓬莱に流される。ここで、唐敖は俗世を離れる気持ちは変わることはなく、山に入り仙人となり、戻らなかった。林之洋、多九公は探したが、世を絶った旨の七言絶句を見つけて断念し、嶺南にもどる。(第9回?第40回)
女試の決定がなされる

聖歴元年となり、武則天が勅命をくだし、女試(女科挙)が開かれることとなった。実施は聖歴3年、資格は16歳までである。唐敖の娘であり、百花仙子の生まれ変わりである唐小山は女試を受験することを決めていた。母の林氏と弟の唐小峯とともに林之洋の家に赴いた時に、唐敖失踪の真相を知る。唐小山は、林之洋にせがみ、小蓬莱を目指すことになる。この時、唐小山、林之洋とともに多九公、呂氏、林婉如、陰若花も同行することになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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