鏡子の家
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鏡子の家
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌掲載・書き下ろし
初出情報
初出1章と2章途中まで-『聲』1958年創刊号
残りの章- 書き下ろし
刊本情報
刊行『鏡子の家 第一部』
『鏡子の家 第二部』
出版元新潮社
出版年月日1959年9月20日(第一部・第二部)
装幀岩崎鐸
総ページ数247(第一部)
233(第二部)
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『鏡子の家』(きょうこのいえ)は、三島由紀夫長編小説。「戦後は終わった」とされた昭和30年前後の「時代」を生きた若者5人のニヒリズムを描いた作品で[1][2]、三島が自身の青春や「戦後」といわれた時代への総決算として力を注いだ小説である[3][4][5]。成功作とはならなかったが、三島文学の軌跡において極めて重要な意味を持つ小説である[6][7]

名門資産家の令嬢・鏡子と、そのサロンに集まる4人の青年たち――世界の崩壊を確信しているエリート商社マン、私立大学の学生拳闘選手、才能豊かな童貞日本画家、売れない美貌新劇俳優――といった、終戦直後の廃墟の原体験と無秩序の意識を持ち続ける5人が、新たな時代の転換の中で抱く虚無的な感覚を描いた物語。彼らの前に立ちはだかる時代の「壁」に対する孤独ストイックな方法と破滅が、抑制的な成熟した文体と古典的心理主義の手法で描かれている[5][8][9]。当初、市川崑監督で映画化の話もあったが、実現には至らなかった[10][11]
発表経過

1958年(昭和33年)10月、雑誌『聲』創刊号に1章と2章途中まで掲載された後[12]、翌年1959年(昭和34年)9月20日に書下ろし新潮社より「第一部」「第二部」の2冊同時に単行本刊行された[13][14]。発売1か月で15万部売れた[15]。合冊の文庫版は1964年(昭和39年)10月5日に新潮文庫より刊行された[13]。翻訳版はマティルデ・マストランジェロ訳によりイタリア(伊題:La casa di Ky?ko)、ポーランド(波題:Dom Kyoko)で行われている[16]

第一部の起稿日は1958年(昭和33年)3月17日で、脱稿日は翌年1959年(昭和34年)1月3日、第二部の起稿日は同年1月5日で、脱稿日は同年6月29日である[17][18]。約1年3か月の執筆期間の間、三島は原稿用紙にして947枚書いており[17]、単純計算すると、1日2枚のペースだが、その間、お見合い結納結婚式新婚旅行ビクトリアコロニアル様式の新居の建築(大田区南馬込)、長女の誕生など、私生活の多忙があり、実際には1日に3 ? 5枚のペースだったとされている[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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