鏡の国のアリス
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「鏡の国のアリス」のその他の用法については「鏡の国のアリス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

鏡の国のアリス
Through the Looking-Glass, and What Alice Found There
初版本の表紙
作者ルイス・キャロル
イギリス
言語英語
ジャンル児童文学ファンタジー童話
発表形態書き下ろし
刊本情報
出版元マクミラン社
出版年月日1871年12月24日[1]
挿絵ジョン・テニエル(装幀と兼務)
シリーズ情報
前作不思議の国のアリス(1865年)
日本語訳
訳者楠山正雄、長澤才助
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『鏡の国のアリス』(かがみのくにのアリス、: Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)は、1871年に発表されたルイス・キャロルの児童小説。『不思議の国のアリス』(1865年)の続編である。

前作では不思議の国を冒険した少女アリスが、今作ではを通り抜けて異世界(鏡の国(英語版))に迷い込む。前作と同様、文中には様々な言葉遊びやパロディがちりばめられているが、即興で作られた話がもととなっている前作とは異なり、はじめから出版を意図して作られた今作の物語はより知的な構成がとられており[2][3]、アリスをはじめとする登場人物たちはチェスのルールに従って、桝目で区切られた鏡の国の中を行き来する。

また今作ではハンプティ・ダンプティトゥイードルダムとトゥイードルディーといった、マザー・グースに由来するキャラクターが登場するほか、ナンセンス詩の代表作として知られる「ジャバウォックの詩」が作中作として登場する。前作同様、ほかにも多くの詩と童謡が作中に挿入されており、挿絵も引き続きジョン・テニエルが手がけている。『不思議の国のアリス』と対になる作品として、前作とともに様々な言語に翻訳されて世界中で読まれており、前作と組み合わせた映像化をはじめとして様々な翻案や派生作品を生んでいる。
作品背景アリス・リデル(キャロルの撮影、1858年)

前作と同じく、『鏡の国のアリス』もまたアリス・リデルをはじめとするリデル姉妹との交流が着想のもとになっており、今作では特に1863年の間の出来事が物語に大きな影響を与えている。この年の3月10日、キャロルとリデル家の所属するオックスフォード大学の学寮クライストチャーチの出身である皇太子(のちのエドワード7世)の結婚式があり、その日に至る数日間盛大なお祭り騒ぎがあった。キャロルも結婚式の前日、自分の弟エドウィンとともにアリスに付き添い、イルミネーションで飾られたオックスフォードの町を練り歩き祝祭を愉しんだ[4]。同年の6月にも皇太子夫妻のオックスフォード再訪問があり、このときは祝典に合わせてバザーが開かれ、リデル家の姉妹は皇太子妃に白い子猫を売った[5]。アリスが女王になるまでの道のりという『鏡の国のアリス』のテーマや、作中冒頭のアリスと子猫とのやりとり、ライオンとユニコーンの挿話などは、この王室の祝典から着想を得ているものと考えられる[6][7][7]

さらにこの二つの祝典の間の1863年4月、キャロルはチャールストン・キングズに滞在していたリデル姉妹に招かれて、この地で数日間姉妹とともに過ごしている。同地にはリデル姉妹の祖父母の住むヘトン・ローン館があり、リデル夫人が出産間近となっていたために、姉妹はこの田舎の家に一時預けられていたのである。ヘトン・ローン館の客間の暖炉の上には部屋全体が映る大きな鏡がしつらえられており、これが鏡を通り抜けて別の世界に行くというアイディアのもとになったものと考えられる[8][7][注 1]。そして昼食後、キャロルが姉妹とともに馬車で散歩に行き、丘からグロスターシャーの平野を眺めると、ちょうどチェス盤のような田園風景が広がっていた[7]。また本作第3章の客車の場面は、同年6月25日に学寮関係者でニューナムへ遠足に行き、その帰りにキャロルとアリス、その妹のイーディスの3人だけが鉄道を使って帰ってきたときの出来事を再構成したものである[9]
出版まで

1865年に『不思議の国のアリス』を刊行して一躍有名人となったルイス・キャロルは、この作品の好評を受けて続編の構想を始めた。キャロルが『アリス』の出版者であるアレグザンダー・マクミランに宛てた1866年8月24日の手紙の中では、まだ明確な形をとっていないものの、続編を書く考えを抱き始めていることが記されており、そしてその年の暮れまでには実際に執筆に着手した[10]。原題の『鏡を通り抜け、そしてアリスがそこで見たもの』というタイトルをキャロルに提案したのは、オックスフォード大学の同僚であった友人ヘンリー・リドンであったらしい[10]

物語の執筆の傍らで難航したのが挿絵の依頼であった。キャロルはおそらく、前作の挿絵を担当したジョン・テニエルにまず依頼を行ったと考えられるが、テニエルは多忙を理由にこの仕事を断ったのである。このためキャロルは挿絵画家を探し回らねばならず、テニエルの推薦を受けてリチャード・ドイルやキングスリーの『水の子』の挿絵を担当したノエル・ペイトン卿などに当たったが、いずれも都合が合わなかった。結局、キャロルはテニエルに、彼が現在仕事を引き受けている出版者すべてに対して、向こう5か月分の違約金を代わりに支払うという条件を提示し、1868年6月にさらに「暇を見つけては」という条件のもとでこの仕事を引き受けさせることになった[11]テニエルの描いた女王アリス(中央)。初案ではちょうどチェスの駒に形状が似るクリノリンを着せられていた(画像は修正後)。

前作と同じく、今回もキャロルは挿絵に対しこと細かに注文をつけテニエルをうんざりさせた。例えば物語の後半で女王となるアリスに、テニエルははじめクリノリンを履かせていたのだが、クリノリンを毛嫌いしていたキャロルはこのシーンをすべて普通の正装に書き直させている[12]。その一方でテニエルもキャロルの文章に注文をつけており、作中の詩に出てくる「大工とセイウチ」の組み合わせに抗議するなどした。さらにテニエルは、「かつらをかぶった雀蜂」が登場する作中の一挿話に対し不満を表明し、キャロルもこれを受け入れてこの挿話を丸ごと削除している[13]。この削除された挿話は1974年になって初めて発見された(後述#削除された挿話を参照)。

1869年の1月には、キャロルはマクミラン出版社に最初の一章の原稿を送っている。しかしテニエルがあらかじめ忠告していた通り挿絵の仕事は遅れ、1871年1月に最後の校正刷りをテニエルに送ったキャロルは、すべての挿絵を受け取って『鏡の国のアリス』を刊行するまで1年近い時間待たされることになった[12]。こうして1871年12月24日のクリスマスに刊行された『鏡の国のアリス』はすぐにベストセラーになり、各紙の書評で前作に劣らない賛辞が送られた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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