鎮静薬
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鎮静薬(ちんせいやく、: Sedative)は、中枢神経系に作用し興奮鎮静する薬物である。睡眠薬として利用される場合もある。また、手術の麻酔前に投与されることがある。この用語が、19世紀から薬剤の種類を表すため頻繁に用いられたのは、当時は鎮静させることが精神医療の薬物療法による主な治療法であったためであり、20世紀中ごろまではバルビツール酸系を用いた持続睡眠療法などが研究された。

鎮静剤は、19世紀にはアヘンアルコール、20世紀の前半は、ブロム化合物とバルビツール酸系であった[1]。1950年代にはトランキライザー(精神安定剤)の語によって登場した抗精神病薬抗うつ薬、ベンゾジアゼピン系といった様々な薬により、患者は過剰な鎮静を得ずとも症状を抑えて生活できるようになった。

現在では抗不安作用などの区別も発達し、抗不安薬睡眠薬の語が使われる[2]
歴史

1805年に、ドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーは、アヘンからそのアルカロイドであるモルヒネを分離し、鎮静催眠薬として精神医学に導入された[3]。19世紀、精神病者がいまだ閉じ込められていたアサイラムの時代において、モルヒネは患者を鎮める鎮静剤として、また眠らせる催眠剤でもあったが、依存性が判明し使用されなくなった[4]

また幻覚作用で知られるヒヨスから[3]、抽出された植物アルカロイドのヒオスシアミンスコポラミンを含む[4])を、1833年からメルク社が販売しており、1868年にはウィーンの薬理学者カール・シュロッフが鎮静剤としても催眠剤としても作用することを見出し、1880年代までにはアサイラムで広く用いられるようになった[4]。当時の神経精神科の施設にてよく用いられる「カクテル」(多剤併用)のうち一剤となった[3]

合成された初の鎮静剤は、抱水クロラールであり、1832年にギーセン大学ユストゥス・フォン・リービッヒが合成した[4]。1869年に、ベルリン大学の薬理学教授オスカー・リープライヒ(ドイツ語版)が不安と抑うつを示す患者の不眠症に用い有効だとした[4]。上述のモルヒネやアルカロイドは注射で用いられたが、抱水クロラールは服薬できることでは優っており、しかし酷い味と服薬後の息の臭いは嫌がられた[4]。当時の演劇や小説が、ヒロインが貞操を奪われる際にこの薬物を用いることを描いた[4]

そして19世紀後半には臭化物が広く用いられたが、毒性と12日にわたる長い半減期のため、バルビツール酸系が登場すると徐々に置き換えられていった[3]

1903年には、ドイツの化学者エミール・フィッシャーらはバルビタールを合成し、酷い味がなく治療域が有毒域に近くないという点で新たな鎮静剤となり、バイエル社からベロナール、シェリング社からメディナールとして販売された[4]。人気を博し広く用いられるようになり、バルビツール酸系の薬は数多く合成された[4]。1915年には、チューリッヒ大学精神科の精神科医ヤコブ・クレージーが、統合失調症にバルビツール酸を用いて持続睡眠療法を開始した[4]。その死亡率は5%であった[3]

1952年までは、患者を管理するためには、拘束や鎮静剤しかなく、もっとも使われたバルビツール酸系には、患者が眠ったり、過剰投与で死亡する副作用もあった[5]
精神薬理学の時代

1952年2月にフランス海軍の外科医アンリ・ラボリは後にクロルプロマジンとして知られる4560 RPの外科での使用によって患者に「無関心」を生じさせたことを報告し、論文の終わりに、これらの知見が精神医学での使用を予想させ、おそらくバルビツール酸による睡眠療法とも関係があるだろう、と記した[6]。すぐにパリのサンタンヌ病院の精神科医ジャン・ドレーとピエール・ドニカーの耳に入り、3月には患者に単剤でクロルプロマジンを投与し、5月にはその成果を報告をしている[6]。バルビツール酸と異なり、脱抑制にしたり、過鎮静に陥ることなく患者を穏やかにし、患者を施設に監禁することなく日常生活が送れるようになった[7]。これに続いて抗うつ薬抗躁薬など様々な薬が登場し、精神薬理学の時代がはじまったとされる[7]。時代背景で言えば、アメリカでは当時、治療は精神分析が主流であったために、無意識の葛藤の解決なく症状が抑えられるという発想に抵抗があったが、浸透するのにそれほど時間はかからなかった[7]

催眠剤・鎮静剤で言えば、バルビツール酸系の欠点である、耐性の形成が早く早期に依存に陥りやすく、離脱症状が強く、死に至る危険性が高いことを克服しようと新たな化合物が合成された[8]

それらの初期の一群は非バルビツール酸系であり、サリドマイドの催奇形性や、同様に乱用や依存のため市場から消えた[8]。後に商品名ミルタウンで販売されるメプロバメートを、1955年にカーターウォレス社のフランク・バーガーが鎮静作用の強い物質として発見したときトランキライザーママ〕の用語を用いた[1]

次に[8]、1960年代前半には、ホフマン・ラ・ロシュ社から、鎮静作用のあるベンゾジアゼピン系が発売された[1]。「トランキライザー」も参照
日本

日本では1868年ごろ、明治維新がなされると、それまでの漢方医学ではなく西洋医学が導入された[9]。精神医療における薬物療法としては、主に鎮静剤や催眠剤による持続浴療法や、持続睡眠療法であった[9]

1894年の、初期の教科書『精神病学集要』の要約『精神病学要略』の薬物療法の項では、麻酔剤としてアヘン、モルヒネ、ヒヨスチン、催眠剤として抱水クロラールやクロロフォルムなど約20種類が挙げられている[9]。1924年の『精神病診断及び治療学』には、鎮静剤にアヘン、モルヒネ、コデイン、ヒヨスチン、スポコラミンなどが挙げられている[9]

1921年の『臨床薬物学-後編』には、大脳の機能の興奮性を鎮静させるものであると記され、ブロム剤が紹介されている[10]。1940年に日本医師会から発行された『局方外薬鑑』という薬の目録の鎮静剤の項には、もっぱらブロム化合物が載せられている[11]

1954年より、欧米と同じようにトランキライザー(精神安定剤)と総称して呼ばれた様々な薬が使われ始めた[12]。「トランキライザー」も参照
ベンゾジアゼピン

現在、日本において一般的に利用される鎮静薬は、ベンゾジアゼピン系と、これとほぼ同様のチエノジアゼピン系に分類されるものがほとんどである。

ベンゾジアゼピン系は以前によく使われていたバルビツール酸系に比べて毒性が低いが、過剰摂取による死亡は今なお問題である。


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