中華人民共和国 江蘇省 鎮江市
金山寺金山寺
略称:鎮
旧称:京口・丹徒
江蘇省中の鎮江市の位置江蘇省中の鎮江市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度12分6秒 東経119度27分6秒 / 北緯32.20167度 東経119.45167度 / 32.20167; 119.45167
鎮江市(ちんこうし)は中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。古くから商業都市として発達した国家歴史文化名城である。 江蘇省西南部、長江(揚子江)下流南岸に位置し、長江と大運河とが交差する地点にある。西は南京、北は揚州、東は常州、南は金壜と接する。 南京?上海を結ぶ鉄道(京滬線・鎮江駅)も通るが、北の揚州との間には川幅の広い長江(揚子江)が横たわっているため、フェリーでの渡岸か南京経由での移動が必要であったが、2005年に潤揚長江公路大橋が開通し、揚州までは30分程度の道のりとなった。 かつては京口、丹徒などと呼ばれ、三国時代には呉の孫権が一時、京口に都を置いた。 鎮江市は3市轄区・3県級市を管轄する。 鎮江市の地図 この節の出典[1][2]
地理
歴史
北宋時代に鎮江の名が始まる。
アヘン戦争後期の1842年7月、イギリス軍が鎮江を占領。京杭大運河を封鎖。
1858年の天津条約で条約港に指定され、1861年から1927年まで英国租界が置かれていた。
辛亥革命後は丹徒県と改称し、1928年鎮江県となった。
1929年から1949年まで鎮江に江蘇省政府が置かれていた。
1949年鎮江市が成立したが、省都は南京に移った。
1978年対外開放都市となり、1986年には国家歴史文化名城に指定された。
1988年には沿海経済開放区に列した。
行政区画
市轄区:
京口区・潤州区・丹徒区
県級市:
丹陽市・揚中市・句容市
京口区潤州区丹徒区丹陽市揚中市句容市
年表
蘇南行署区鎮江専区
1949年10月1日 - 中華人民共和国蘇南行署区
1949年11月28日 - 鎮江分区が鎮江専区に改称。(1市7県)
鎮江県の一部が分立し、鎮江市が発足。
鎮江県が丹徒県に改称。
1949年12月 - 句容県・江寧県が南京市に編入。(1市5県)
1950年1月 - 南京市句容県・江寧県を編入。(1市7県)
1952年11月15日 - 江蘇省の成立により、江蘇省鎮江専区となる。
江蘇省鎮江専区(1952年-1958年)
1953年2月6日 - 常州専区武進県・金壇県・?陽県を編入。(1市10県)
1953年2月27日 - 武進県の一部が分立し、常州市戚墅堰区となる。(1市10県)
1953年3月 - 金壇県の一部が武進県に編入。(1市10県)
1953年5月16日 - ?陽県の一部が安徽省蕪湖専区郎渓県に編入。(1市10県)
1953年5月26日 - 武進県の一部が蘇州専区震沢県
1953年6月 (1市10県)
南京市九区・十区・十一区の各一部が江寧県に編入。
江寧県・句容県の各一部が南京市九区の残部・十一区の残部と合併し、南京市九区となる。
1953年9月23日 (1市10県)
武進県の一部(剣湖区景華郷の一部)が蘇州専区無錫県に編入。
蘇州専区無錫県の一部(玉祁区黄泥?郷の一部)が武進県に編入。
1953年10月 - 南京市九区の一部が句容県に編入。(1市10県)
1953年11月 - 句容県の一部が?水県・金壇県に分割編入。(1市10県)
1954年4月6日 - ?陽県の一部が安徽省蕪湖専区広徳県に編入。(1市10県)
1954年8月27日 - 句容県の一部が江寧県に編入。(1市10県)
1955年6月 - 武進県の一部が蘇州専区江陰県に編入。(1市10県)
1955年11月 - 武進県の一部が蘇州専区江陰県に編入。(1市10県)
1955年11月7日 - 武進県の一部が金壇県に編入。(1市10県)
1955年12月13日 (1市10県)
江寧県の一部が南京市雨花台区・中山陵園区
句容県の一部が南京市棲霞区に編入。
1955年12月 - 丹陽県の一部が武進県に編入。(1市10県)
1956年2月22日 - 江寧県の一部が南京市雨花台区に編入。(1市10県)
1956年2月23日 (1市12県)
揚中県が揚州専区に編入。
武進県が蘇州専区に編入。
揚州専区儀徴県・六合県・江浦県、蘇州専区宜興県を編入。
1956年3月28日 - 丹徒県の一部が金壇県に編入。(1市12県)
1956年4月25日 - 金壇県の一部が宜興県に編入。(1市12県)
1956年5月2日 (1市12県)
?陽県の一部(竹?区西沈郷、城東区山下郷の各一部)が金壇県に編入。
金壇県の一部(社頭区湖蕩郷の一部)が?陽県に編入。
1956年5月21日 - 江寧県の一部が南京市秦淮区に編入。(1市12県)
1956年8月1日 - 丹陽県・丹徒県の各一部が金壇県に編入。(1市12県)
1956年8月22日 - 丹陽県の一部が丹徒県に編入。(1市12県)
1956年9月10日 - ?陽県の一部が句容県に編入。(1市12県)
1956年9月 - 句容県の一部が金壇県に編入。(1市12県)
1956年11月8日 - 揚州専区揚中県を編入。(1市13県)
1956年12月14日 - 蘇州専区武進県の一部が丹陽県に編入。