この項目では、武具について説明しています。その他の用法については「鎧 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
画像は当世具足の一形式。
1 - 胴
2 - 草摺(くさずり)
3 - 佩楯(はいだて)
4 - 袴
5 - 脛当(すねあて)
6 - 草鞋
7 - 袖
8 - 籠手(こて)
9 - 手甲(てっこう)
10 - 兜鉢(かぶとばち)
11 - 腰巻(こしまき)
12 - 眉庇(まびさし)
13 - 吹返(ふきかえし)
14 - 錏(しころ)
15 - 脇立(わきだて)
16 - 前立(まえだて)
17 - 面具(めんぐ)
18 - 垂(すが)
19 - 襟廻(えりまわし)
鎧(甲、よろい)は、戦闘の際に装着者の身体を矢や剣などの武器による攻撃から防護する衣類・武具のこと。重要な臓器のある胴や胸の部分を守るのが主な目的である。兜(冑、かぶと)や他の防具とセットで用いられ、あわせて甲冑とも呼ばれる。人間だけではなく、戦馬や象などの動物を保護するために使われることもあった。
鎧の素材は、革・青銅・鉄と実に様々で、また同じ鉄であっても板金を加工して用いたり鎖状にしたものを用いたりとバリエーションに富む。鋼材を打ち伸ばして作った鉄板を組み合わせた物や、鉄や青銅の小板を紐で繋げた物、鉄や青銅のリングを幾つも繋いだ鎖帷子がある。 殷の時代に木や革を胸に当てる原始的な鎧が用いられるようになった。周代には同様の形式で、青銅製の一枚板で造られたものが出現した。春秋戦国時代に入ると、小さな長方形の札を革紐で縦横に綴った札甲、いわゆるラメラーアーマーが一般的なものになり、以降中国甲冑の基本形式となった。 札は革製のものと青銅製のものがあり、前者は一般の兵士が用い、後者は司令官や将校など上位の軍人が着用した。漢代には鉄製の鎧が普及し、楕円形の小札を隙間なく並べた魚鱗甲が出現した。中には腕を筒状の袖で覆う筒袖鎧と呼ばれるタイプのものもあった。また漢代には騎兵が軍の主力となり、敵の攻撃から足を守るために下半身を覆う鎧が現れた。魏晋南北朝時代になると、歩兵の装備が軽装化される一方、全身を鎧で覆った重装の騎兵が一般化した。中には胸部のみを一枚の鉄板で保護した明光鎧もあり、唐代には上位の軍人が好んで使用した。 時代を経るごとに小札の形状は多様化していった。宋代から明代の初期にかけては、山文甲のような装飾性と実用性を兼ねた鎧が広く用いられ、中国甲冑はある種の最終形態に到達した。その後、明代から清代にかけて銃火器が発達すると、その威力に対抗できなくなった甲冑は次第に儀礼的なものとなり、やがて外観だけを甲冑に似せた布製の制服に名残を留めるのみとなった。
地域・時代ごとの鎧
日本の鎧当世具足の事例当世具足の事例詳細は「甲冑」を参照
短甲
挂甲
大鎧
胴丸
腹巻
腹当
当世具足
中国の鎧
玄甲
魚鱗甲
明光鎧
筒袖鎧
唐十三鎧(明光甲、光要甲
紀元前4世紀頃にケルト人によってチェインメイルが発明されるが、製造に手間がかかったため貴族など一部の使用に限られた。