鎌田哲哉
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鎌田 哲哉(かまだ てつや、1963年[1]2月20日 - )は、北海道江別市大麻出身の文芸評論家。「重力」編集会議参加者。Q-project監査委員。HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講師。元北九州予備校講師(英語担当)。元早稲田大学非常勤講師。岡山県岡山市在住。現在岡山進研学院講師(英語担当)
略歴

北海道松前町生れ。北海道札幌南高等学校東京大学法学部第三類(政治コース)卒業。1998年に「丸山真男論」で第41回群像新人文学賞評論部門を受賞[2]。2001年批評空間投資事業有限責任組合(現在は解散)に有限責任組合員として参加。2001年に劇作家の可能涼介が提案した「重力」編集会議に参加し、2002年に刊行された『重力01』の編集責任者を務める。2005年に公開された井土紀州監督のヴィデオ・ドキュメンタリー『LEFT ALONE 1』に出演。編集・執筆した『LEFT ALONE 構想と批判』を2005年に刊行。岡山人民映画会に関与。2003年以来「Q-NAM問題」特集を『重力03』で準備中[3][4]
共著

『未完結の問い』
大西巨人、作品社、2007

批評文

「丸山真男論」(『群像』1998年6月号)

「受賞の言葉」(『群像』1998年6月号)

「統整的理念の不可能性と不可避性──柄谷行人の「我慢」への疑問」(『批評空間』U-21、1999.04)

「知里真志保の闘争」(『群像』1999年4月号)

「訂正その他」(『群像』1999年9月号)

「「卑しさ」と「正しさ」──山城むつみ『転形期と思考』」(『群像』1999年10月号)

「「ドストエフスキー・ノート」の諸問題──小林秀雄における言葉の分裂的な共存についての試論」(『批評空間』U-24、1999.12)

「井土紀州の映画について」(『sagi times』2・1/2号/『LEFT ALONE 構想と批判』、2000.03)

「読解の絶えざる動揺/対象自体の「沈黙」の誘惑にとらわれる──大杉重男『小説家の起源 徳田秋聲論』」(『週刊読書人』2000年6月16日号)

「天国は降ってこない──島田雅彦『天国が降ってくる』解説」(講談社文芸文庫、2000.10)

「進行中の批評(1)NAMへの自立、NAMからの自立」(『早稲田文学』2001年1月号)

「『EUREKA』と「紀州ツアー」」(『ユリイカ』2001年2月号)

「「第二部」へのいくつかの提案──島田雅彦『彗星の住人』」(『群像』2001年3月号)

「進行中の批評(2)「東浩紀的なもの」の問題」(『早稲田文学』2001年3月号)

「ある謎の結晶を別の謎の結晶で多様に散乱させ翳らせる──可能涼介『はじまりのことば』」(『週刊読書人』2001年3月9日号)

「柄谷行人『〈戦前〉の思考』解説」(講談社学術文庫、2001.03)

「「カンナカムイの翼」についてのノート」(『情況』2001年5月号)

「進行中の批評(3)?秀実は探している」(『早稲田文学』2001年7月号/『LEFT ALONE 構想と批判』)

「進行中の批評(4)「重力」の前提」(『早稲田文学』2001年9月号/『重力01』〔抄録〕)

「有島武郎のグリンプスA──内村鑑三との闘争」(『批評空間』V-1、2001.09)

「定説の破壊──?秀実『「帝国」の文学』」(『群像』2001年11月号/『LEFT ALONE 構想と批判』)

「進行中の批評(5)批評と放蕩──自称坊や哲の、よく肥えたドサ健に対する、「勇気」についての疑問」(『早稲田文学』2002年1月号)

「橋川文三──一人のautodidacte」(『文學界』2002年2月号)

「「ドストエフスキー・ノート」の諸問題(続)」(『重力01』、2002.02)

「準備のためのノート──江藤淳「小林秀雄」における読解の基礎原理の破壊」(『重力01』、2002.02)

「山城むつみ「小林批評のクリティカル・ポイント」について」(『重力01』、2002.02)

「有島武郎のグリンプスB──『或る女』についてのノート」(『批評空間』V-3、2002.03)

「日米安保破棄をプログラムするために──憲法第9条のグローバリゼーション」(『理戦』68、2002.03)

「 ⇒
『柄谷行人初期論文集』書評」(Web CRITIQUE 2002、2002.04)

「進行中の批評(6)松本圭二の重力と卵巣」(『早稲田文学』2002年5月号)

「内藤裕治への感謝」(『新潮』2002年8月号)

「進行中の批評(最終回)A LETTER FROM N43°」(『早稲田文学』2002年11月号)

「有島武郎のグリンプスC──論争の問題、自殺の問題」(『重力02』、2003.03)

「大西さんへの鎌田からの往信」(『重力02』、2003.03)

「 ⇒西部忠への返信」(『重力02』、2003.03)

「「闇斎学と闇斎学派」について」(『新現実』vol.2、2003.03)

「野良猫と山猫──星野智幸『ファンタジスタ』」(『新潮』2003年6月号)

「アウェーにおける「九勝六敗」──『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ 1 放浪』解説」(ちくま文庫、2003.06)

「大西巨人『三位一体の神話(下)』解説」(光文社文庫、2003.07)

「京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開」(2003.11)

「卑小なものと崇高なもの──『神聖喜劇』における描写の問題(序)」(『季刊d/SIGN』no.6、2004.01)

「連載「大西巨人氏に聞く」インタビューを終えて──「求めし所」求める/対等な土俵の上に立ち考えたこと」(『週刊読書人』2004年9月24日号)

「「現在」として反復される「過去」」(『思想運動』No.724、2004.10)

「大西巨人のダイナモ」(『IN・POCKET』2005年1月号)

「「連絡船」としての短編小説──大西巨人『五里霧』解説」(講談社文芸文庫、2005.01)

「 ⇒編者序文(刊行の経緯)」(『LEFT ALONE 構想と批判』、2005.02)

「 ⇒途中退場者の感想──「LEFT ALONE」批判」(『LEFT ALONE 構想と批判』、2005.02)

「一つの症候/対象に直面したと錯覚することを通じての、対象が提起する問題からの満足気な遁走──『ヒトラー?最期の12日間?』」(『映画芸術』NO.412、2005.07)

「 ⇒「叢書重力」刊行によせて」(web重力、2005.10)

「「叙事的演劇」としての批評──湯地朝雄『政治的芸術』」(『社会評論』No.146、2006.07)

「 ⇒NAM会員へのメール@」(web重力、2006.10)

「 ⇒NAM会員へのメールA」(web重力、2006.10)

「 ⇒自立的な「活動」と「創設」の可能性を探る──『神聖喜劇』が問いかけていること」(『Senki』1245号、2007.06)

「『感想』の挫折とその公刊拒否の理由を明晰かつ説得的に提示──水谷真人『批評と文芸批評と 小林秀雄「感想」の周辺』」(『週刊読書人』2007年10月26日号)

「統合の余地のない「地獄」の複数性──大西巨人『地獄篇三部作』」(『思想運動』No.792、2007.11)

「大西巨人『深淵(下)』解説」(光文社文庫、2007.11)

「「絞りたての牛乳」としての初期批評」(『大西巨人・走り続ける作家』、2008.11)

「私は田舎者であり、へばの? ? ?をへばの? ? ?という──『六ヶ所村ラプソディー』と『へばの』における「安全地帯」の差異」(『へばの』パンフレット、2009.01)

「『探究・第二次「政治と文学」論争』を読む──「政治と文学」論争の新たな反復のために」(『社会評論』No.158、2009.07)

「『思想運動』に学びたいことと注文したいこと」(『思想運動』No.830、2009.07)

「「新しい物語」のために──松村浩行への手紙」(『TOCHKA』パンフレット、2009.10)

「「地獄への道」を拒否する「楕円」/政治批評の最高傑作──武井昭夫『“改革”幻想との対決 武井昭夫状況論集2001‐2009』」(『週刊読書人』2010年1月8日(1日合併)号)

「 ⇒「歌」の運命──武井昭夫さんのこと」(『週刊読書人』2010年10月1日号)

「いかにして自らを瞿秋白に作るか/竹内が仮構したパラダイムを命がけで破壊──浅川史『魯迅文学を読む 竹内好『魯迅』の批判的検証』」(『週刊読書人』2011年3月4日号)

「「創造」=「批評」運動の再生のために」(『社会評論』No.165、2011.04)

「芸術運動は絶え間なく「真理」を目指す──竹内「魯迅」の根本的破壊を可能にしたもの」(『社会評論』No.166、2011.07)

「 ⇒「岡山人民映画会」は何を歌うか──上映企画「「歌」よ生まれよ」のための走り書き」(岡山人民映画会、2011.09)

「 ⇒作品紹介」(岡山人民映画会、2011)

「芸術運動は絶え間なく「真理」を目指す(続き)──特に花田の魯迅批評の広がりについて」(『社会評論』No.167、2011.10)

「 ⇒解説=『ひろば』の火種とそれに続く明日」(岡山人民映画会、2011.10)

「 ⇒なんだか汚い。二度とこういうものに触れられたくない。(あるネットおたくへのメール)」(岡山人民映画会、2011.11)

「「「プロレタリア独裁」まであと一歩」はどこに消えたか?──中島一夫への答え」(『週刊読書人』2012年4月13日号)

「武井昭夫と荒川源吾(上)──我々はサークル誌をなぜ読み、なぜ書くのか」(『社会評論』No.169、2012.04)

「 ⇒『よろこび』について──若者としての映画作家の肖像」(HOWS講座上映と討論会 松村浩行監督作品『よろこび』と『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』、2012.05)

「「批評の不在」は何を傷つけるか──金山明子の『サークル誌の時代』書評について」(『思想運動』No.893、2012.06)

「武井昭夫と荒川源吾(中)──特に『ひろば』と『文芸雨竜』の批評的協働について」(『社会評論』No.170、2012.07)

「 ⇒「量は少なくても、質のよいものを!」(編集部付記)」(岡山人民映画会、2012.09)

「「転向ファシスト」の文章──全てのマルチン・ターラーのために」(『デルクイ』vol.02、2013.11)

「追悼 大西巨人さん/いかなる人間も対等/ぎりぎりの快活さ」(『西日本新聞』2014年3月14日朝刊)

「耐えるべき「長命」──大西巨人さんのこと」(『京都新聞』2014年3月18日朝刊他[5]

「「黒い男」はどこにいるか──新田進の焼身自殺について」(『週刊読書人』2015年2月20日号)

「革命運動の精神──特にその時間性の問題」(『季刊メタポゾン』第11号、2017.12)

「「長町」と「釜ヶ崎」──この映画と上田秋成の結びつきについて」(『CALDRONS』第1号、2017.12)

「木村文洋のりんご」(『息衝く』パンフレット、2018.02)

「革命運動の精神2──新元号下の「異安心」の課題」(『週刊読書人』2019年8月30日号)

「 ⇒表町通信・1月 ローザ・ルクセンブルクの頭蓋骨」(『週刊読書人』2020年1月3日?12月27日合併?号)

「 ⇒表町通信・2月 「革命的ジャーナリズム」とは何か、それをいかに再生すべきか」(『週刊読書人』2020年2月7日号)

「 ⇒表町通信・3月 「革命的ジャーナリズム」とは何か、それをいかに再生すべきか(続き)」(『週刊読書人』2020年3月6日号)

「 ⇒表町通信・4月 「革命的ジャーナリズム」とは何か、それをいかに再生すべきか(その3)」(『週刊読書人』2020年4月3日号)

「 ⇒表町通信・5月 一回休み──強いられた「自粛」から自発的大衆ストライキへの転化について」(『週刊読書人』2020年5月8日?5月1日合併?号)


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