鎌倉郡(かまくらぐん)は、神奈川県(相模国)にあった郡。 郡に所属する町村の数には時代によって変動が見られるが、近代以前は概ね80か村程度(幕末には89町村)所属し、郡高は2万石強程度だったようである。 廃藩置県以降、次第に周辺の市・町に吸収合併されて郡域は縮小し、1948年(昭和23年)6月1日に大船町が鎌倉市に編入されたことによって所属する町村がなくなり消滅した。 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域に相当する。 上記のほか、古くは逗子市全域、葉山町北部も含まれていた。これらは後年、相模国三浦郡に編入された。 行政区画として発足した当時に隣接していた郡は以下の通り。 源順の『和名類聚抄』によると、平安時代中期に鎌倉郡にあった郷は以下の通り。 神名帳比定社集成 後北条氏は、分国相模を西郡、中郡、東郡とし、古代以来の三浦郡と合わせて統治した。相模川以東の高座郡と鎌倉郡は東郡とよばれた。近世初頭まで用いられたようである。
概要
郡域
鎌倉市(全域)
横浜市
戸塚区・泉区・栄区の全域
瀬谷区(卸本町の一部を除いた全域)
港南区(芹が谷一 - 五丁目、東芹が谷、東永谷一 - 三丁目、上永谷一 - 六丁目、下永谷一 - 六丁目、丸山台一 - 四丁目、日限山一 - 四丁目、上永谷町、野庭町の全域、日野南五 - 七丁目の各一部)
金沢区(朝比奈町の全域、東朝比奈二 - 三丁目の各一部)
南区(六ツ川四丁目の全域)
藤沢市(西富一・二丁目、大鋸一 - 三丁目、藤が丘一 - 三丁目、弥勒寺一 - 四丁目、渡内一 - 四丁目、村岡東一 - 四丁目、川名一・二丁目、片瀬一 - 五丁目、片瀬山一 - 五丁目、片瀬目白山、片瀬海岸一 - 三丁目、江の島一・二丁目および大字大富、小塚、宮前、高谷、柄沢
隣接していた郡
神奈川県 : 高座郡、南多摩郡、都筑郡、橘樹郡、久良岐郡、三浦郡
有史から江戸時代まで
古代は、「鎌倉之別…之祖也」とあり、現在の鎌倉市域から三浦半島付近は「鎌倉別(かまくらのわけ)」という古代豪族の拠点だったと考えられている。鎌倉周辺の丘陵では、古墳時代には横穴墓群が多く形成されている(鎌倉型横穴墓を参照)[1]。
郷
沼浜(ぬはま) - 逗子市沼間。
鎌倉(かまくら) - 鎌倉市大町、小町、御成町。
埼立(はしたて) -「はのたて」「さきだて」とも。鎌倉市長谷、坂ノ下、極楽寺。
荏草(えがら) - 「えがや」とも。鎌倉市二階堂(荏柄天神社周辺)。
梶原(かぢはら) - 鎌倉市梶原。
尺度(さかと) - 「さかど」とも。藤沢市本町
大島(おほしま) - 横浜市泉区岡津町、新橋町、弥生台、瀬谷区阿久和、三ツ境。
式内社
社名読み格付記社名所在地備考
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中世
近世」が記載されている[3]。谷七郷の郷名と相当する現在の地名は以下の通り。
小坂郷(おさかごう、鎌倉市常盤、藤沢市片瀬)
小林郷(こばやしごう、鎌倉市雪ノ下、梶原)
葉山郷(はやまごう、逗子市小坪、桜山、沼間、三浦郡葉山町堀内
津村郷(つむらごう、鎌倉市腰越・津、手広、笛田、藤沢市川名)
村岡郷(むらおかごう、横浜市戸塚区俣野町、影取町、藤沢市村岡東
長尾郷(ながおごう、横浜市栄区長尾台町、田谷町、飯島町、金井町)
矢部郷(やべごう、横浜市戸塚区矢部町、上矢部町、泉区中田町、和泉町、瀬谷区宮沢)
近代以降
町村制以前の沿革
1867年(慶応3年) - それまでは海防の関係から陸奥会津藩、武蔵川越藩、長門萩藩、肥後熊本藩等が郡内を管轄していたが、ほぼ全域が幕府領となり、代官・江川太郎左衛門支配所(韮山代官所)の管轄となる。