鎌倉車両センター中原支所
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鎌倉車両センター中原支所
中原電車区時代の鎌倉車両センター中原支所
基本情報
日本
鉄道事業者東日本旅客鉄道
帰属組織首都圏本部
所属略号都ナハ
旧称中原電車区
開設1960年
車両基地概要
敷地面積28,124 m2
配置両数
電車252両
合計252両
備考2023年4月1日現在のデータ
敷地面積は有価証券報告書の値[1]
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鎌倉車両センター中原支所(かまくらしゃりょうセンターなかはらししょ)は、神奈川県川崎市中原区上小田中5丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部車両基地である。

南武線武蔵中原 - 武蔵新城間に並行しており、電車の入出区は武蔵中原駅から行われる。武蔵中原駅は高架構造のため、地上の車両基地との入出区線は急勾配となっている。
概要

南武線の車両基地はその前身である南武鉄道の開業以来矢向駅構内にあったが、手狭になったために1960年4月25日に中原電車区として当所が開設され矢向電車区から車両を移管した。矢向駅にはこの際中原電車区矢向派出所を設置したが後に廃止され、現在は留置線のみ残る。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これに加え登戸駅構内に電留線を作る案もあったが[要出典]、現在のところ実現していない。

国鉄分割民営化後の1988年には、弁天橋電車区から鶴見線の車両が移管された。これらは鶴見線営業所(旧弁天橋電車区敷地に新設)に常駐している。

略号は日本国有鉄道(国鉄)時代の当初は東京鉄道管理局管轄であったことから「東ナハ」であったが、1969年武蔵小杉以北が東京西鉄道管理局管轄とされたため、「西ナハ」とされた。民営化後は東京圏運行本部→東京地域本社の管轄となったため再び「東ナハ」となったが、1996年10月の横浜支社発足に伴う管轄の変更で「横ナハ」となった。

2015年3月14日に浦和電車区の検修部門がさいたま車両センターに独立し、JR東日本で検修部門と運転士が所属する最後の電車区となった。

2020年3月14日に組織改正され、中原電車区から鎌倉車両センター中原支所となった。その際、運転士部門は矢向車掌区と統合し、旧・夢庵武蔵中原駅前店の跡地に新設された川崎運輸区に再編された。

中原電車区時代の看板(2011年1月撮影)

中原電車区時代の正門(敷地外から撮影)

構内

入出区線を下って構内に入ると両渡り分岐器(シーサスクロッシング)があり、留置線および洗浄線群、検修庫線、武蔵中原駅側の留置線へと分かれる[2]。南武線の高架線側より

0番 - 3番の留置線がある[2]。1区と2区に分かれており、6両編成の車両を縦列留置できる[2]

4番 - 7番の留置線は6両編成を留置できるが、4・5番線は終端部に85mの余裕があり、南武支線用・鶴見線用車両も留置できる[2]

8・9番線は洗浄線で、手洗浄作業台が設置されている[2]

11・12番線は検修線で、台検庫に繋がっている[2]。天井クレーン・リフティングジャッキを配備しており、機器の吊り替えや修理等を行う[2]

13・14番線は交検線で、交検庫に繋がっている[2]。基本的に14番線において交番検査(205系)または機能保全(E233系)を実施する[2]

武蔵中原駅側の留置線は16・17番線があり、途中に車両洗浄機がある[2]

当支所には車輪転削設備がないため、実施する場合には車両を国府津車両センター回送して実施している[2]
配置車両に記される略号鎌倉車両センター中原支所 所属略号

「横ナハ」…横浜支社を意味する「横」と、中原を意味する「ナハ」から構成される。
配置車両

南武線・鶴見線用の電車が配置されている。2023年4月1日時点の配置車両は以下の通り[3]

電車気動車機関車客車貨車合計
252両0両0両0両0両252両

E233系8000番台・8500番台(216両)
E233系8000番台南武線用の8000番台6両編成35本(N1 - 35編成)と8500番台6両編成1本(N36編成)が配置されている。205系と209系の置き換え用として投入され、2014年10月4日より営業運転を開始した[4][5]。8500番台は、2017年2月に豊田車両センターから元青梅五日市線用の0番台青670編成が改番して転入したもの。同年3月15日より営業運転を開始している[6]
205系(33両)
205系1100番台(鶴見線用) 205系1000番台(南武支線用)3両編成9本(T11 - 19編成)、2両編成3本(ワ1,2,4編成、ワ3編成は残存していた101系に割り当てられていたため欠番)の計12本が配置されている。3両編成は鶴見線用、2両編成は南武支線(尻手 - 浜川崎間)用で、3両編成は鶴見線営業所に常駐する。2両編成は、クモヤ145形の廃車後、電車区内の構内入換をする牽引車代用の役目も担っている[7]。かつては南武線用の6両編成も配置されており、2014年10月1日時点では32本存在した。これらはE233系の導入に伴って順次廃車[注 1]され、2016年1月9日のナハ46編成によるありがとう運転をもって営業運転を終了、同年1月15日に全廃となった。山手線中央・総武緩行線埼京線からの転入車のうち、先頭車化改造車(1000・1100・1200番台)が18本、落成時点から先頭車である編成は11本であった。なお、南武支線用と鶴見線用はすべての編成が中間車からの先頭車化改造車である。先頭車前面の編成番号表記は、新製時より所属している編成がプレート式、転属車がテープ式になっている(ナハ15編成のクハ204-138・ナハ35編成のクハ205-19を除く)。鶴見線用3両編成は全編成で大窓車と小窓車が混在しており、クモハ・モハが元山手線車でクハが元埼京線車である。南武支線用2両編成はワ4編成が元山手線車で小窓、ワ1・2編成が元中央・総武緩行線[注 2]車で大窓である。先頭車化改造車のうちナハ48編成は2009年7月に209系2200番台によって置き換えられ、故障したナハ4編成の復旧のためにモハユニット2両を供出したうえで、4両編成として仙台車両センター宮城野派出所に転出して103系を置き換えた。ナハ4編成は抜かれたモハユニット2両を組み込んで営業運転に復帰し、故障当該車のモハユニットは廃車された。この結果、ナハ4編成は大窓車と小窓車が混在している。2014年2月25日[8]には、元鎌倉車両センターのH26編成が転入し、3月6日からナハ17編成として営業運転を開始した[9]。大窓車であり、編成番号も大窓車の続番だが、番号札は両先頭車ともにテープ式であるほか、前面のLED行先表示機は存置され、号車札は鎌倉車両センター時代と同様に白地に青文字となっていた。2015年1月に廃車されている。

205系0番台(南武線用)

205系1200番台(南武線用)

E127系(南武線用)

E131系1000番台(鶴見線用)

31系(1両)
クモハ12052クモハ12052が保留車として当区に配置されているが、現車は車体を整備の上東京総合車両センター西エリアにて保管されており、定期運用は無い。1996年3月まで、鶴見線大川支線で運用された。1980年までは南武線浜川崎支線用の31系由来のクモハ11形・クハ16形が多数配置されていた。
FV-E991系(2両)
FV-E991系2両編成1本(HY編成)が配置されている。愛称は「HYBARI(ひばり)」。試作車の水素ハイブリッド電車で、南武線川崎 - 登戸間、鶴見線、南武支線での試験走行を実施している。

上記配置車両のほか、南武線乗り入れの修学旅行列車など臨時列車が一時留置されることがある。修学旅行列車には現在、専用のE257系5000番台・5500番台が用いられているが、過去には167系183・189系185系などの使用実績がある。
過去の配置車両
209系
2017年4月1日時点で南武線用の6両編成1本(2200番台)が配置されていた。もとは京浜東北線用0番台からの改造で、京浜東北線時代に固定窓の一部を開閉可能にする工事が施工されている。2200番台はE233系8000番台投入前は3編成が配置されていたが、うちナハ52編成・ナハ54編成は2015年度までにE233系に置き換えられ廃車となった。E233系投入後も残留していたナハ53編成も、E233系8500番台の投入により置き換えられ[10]、2017年4月13日付で幕張車両センターに転属し[11]J1編成「BOSO BICYCLE BASE」に再改造された。0番台は、E233系8000番台に置き換えられて2015年までに廃車された。
クモヤ145形
牽引車。116号の1両が配置されていた。2013年2月14日に長野総合車両センターへ回送され[12]、2月18日付けで廃車となった[13]新型入換作業システムの導入に伴い、運転台以外での無線操縦が可能で、誘導係員を必要としない入換運転が可能であった。
103系
2005年12月に鶴見線用として最後の1本となっていたT1編成が運用を離脱。2006年4月26日に廃車回送された。南武線用の編成は当初クモハ103形を含む両端低運転台だったが、ATS-P形の使用開始に伴い1993年以降は浦和電車区(現・さいたま車両センター)などから転入のクハ103形高運転台車を両端に配した編成に統一されていた。これは比較的経年の浅いクハ103形高運転台車にATS-P形を設置することが投資効果上有効であるという判断からであった。国鉄末期には浦和電車区や山手電車区(現・東京総合車両センター)、松戸電車区(現・松戸車両センター)などからの転入車による混色編成や、さらに浦和電車区や豊田電車区(現・豊田車両センター)、奈良電車区(現・吹田総合車両所奈良支所)からの転入車による非冷房車の編成も出現していた。このうち奈良電車区から転入の非冷房モハユニットは新製配置が明石電車区(現・網干総合車両所明石支所)で、近畿地区の車両基地に新製配置された車両は南武線では唯一の存在だった。
101系
南武線用として試作車を含む編成が転入したのが最初で、鶴見線には弁天橋電車区時代の1980年に投入された。その後南武線からは1991年1月に、鶴見線からも1992年5月に撤退し、残った南武支線用のワンマン編成も2003年12月に運用を終了した。南武線で使用されていた試作車のうちクモハ101-902は東京総合車両センター西エリアを経て現在は鉄道博物館で保存されている。
72系

50系

40系

30系


209系2200番台

鶴見線用103系

南武支線用101系

南武線用101系

クモハ12形

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 海外譲渡された車両も存在する。
^ 大元をたどれば京浜東北線

出典^ 第35期有価証券報告書 40頁 (PDF) - 東日本旅客鉄道


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