鍬原拓也
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鍬原 拓也福岡ソフトバンクホークス #174
読売ジャイアンツ育成選手時代
(2021年7月31日 読売ジャイアンツ球場
基本情報
国籍 日本
出身地奈良県御所市岡山県玉野市生まれ)
生年月日 (1996-03-26) 1996年3月26日(28歳)
身長
体重178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2017年 ドラフト1位
初出場2018年5月31日
年俸1300万円(2024年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


北陸高等学校

中央大学

読売ジャイアンツ (2018 - 2023)

福岡ソフトバンクホークス (2024 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

鍬原 拓也(くわはら たくや、1996年3月26日 - )は、岡山県玉野市生まれ、奈良県御所市出身のプロ野球選手投手育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。
経歴
プロ入り前中大時代(2014年4月29日)

2人兄妹の長男で、岡山県玉野市で出生してから3歳までは、父方の苗字を名乗っていた。両親の離婚を機に、母方の苗字である「鍬原」姓へ変更し、母の実家がある奈良県御所市へ母・妹と共に転居。築50年・家賃月額4,000円ほどの市営住宅で育った[1]

小学校3年時から野球を始める[2]と、中学生時代は「橿原磯城リトルシニア」に所属。2010年全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップでは、1学年後輩の岡本和真らと共に、3位となった[3][4]

両親の離婚後から母子家庭で育っていたため、中学校からの卒業後は、シニア関係者の勧めで福井県北陸高等学校に進学。特待生として硬式野球部の寮で生活し、1年時の夏からベンチ入りを果たすと、同年の秋季福井県大会でチームの準優勝に貢献した。3年夏の選手権福井大会初戦で15三振を奪ったほか、打者としても対外試合で通算22本塁打を打ったが、在学中には甲子園球場の全国大会とは無縁であった。

大学進学費用がネックとなり野球を辞めようと考えていたが[4]、硬式野球部監督の谷津田伸二からの仲介で、谷津田の母校である中央大学へ特待生として入学[4]東都大学野球のリーグ戦では、1年時の春から3年時の春までクローザーを任された後に、3年時の秋から先発へ転向した。リーグ戦には、通算で44試合に登板。11勝13敗、防御率3.38、通算投球イニング165回で157三振を奪ったことから、「東都のドクターK」と称された[2]

2017年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)から1巡目で指名。清宮幸太郎村上宗隆への指名重複による抽選で独占交渉権を逃した末の再々指名であったが、契約金1億円に出来高分5000万円、年俸1500万円(金額は推定)という条件で、岡本と再びチームメイトになった。入団当初の背番号は29。なお、指名の直前から『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(TBSテレビ)スタッフの密着取材を受けていたため、会議当日の生放送には母子揃って出演。巨人と仮契約を結んだ直後には、女手一つで育てた母への恩返しとして、「契約金でマンションの一室を買ってあげたい」という希望を明かした[1]。担当スカウトは柏田貴史[5]
巨人時代

2018年には、右肘のコンディションが芳しくなかったことから、春季キャンプを三軍で過ごした[6]。5月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で、同期入団の大城卓三とバッテリーを組み、先発投手として一軍公式戦へデビュー。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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