鍋立山トンネルほくほく大島駅プラットホームの先にある鍋立山トンネル出口
概要
路線北越急行ほくほく線
位置新潟県十日町市・上越市
座標
座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度8分27.9秒 東経138度32分37.7秒 / 北緯37.141083度 東経138.543806度 / 37.141083; 138.543806
入口: 北緯37度7分55.0秒 東経138度36分37.71秒 / 北緯37.131944度 東経138.6104750度 / 37.131944; 138.6104750 (鍋立山トンネル入口)鍋立山トンネル(なべたちやまトンネル[6])は、北越急行ほくほく線まつだい駅 - ほくほく大島駅間の新潟県十日町市と上越市の境界にある鍋立山を貫く全長9,116.5 mの鉄道トンネルである。トンネル内に列車交換用の儀明信号場が存在する。着工から完成までに工事が凍結されていた4年程を含め、21年11ヶ月近くを要した屈指の難工事のトンネルとして知られる。
建設の背景「北越急行ほくほく線#歴史」も参照
北越急行ほくほく線は、元は北越北線として改正鉄道敷設法別表55ノ3に「新潟縣直江津ヨリ松代附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐵道」と規定されたものである[7][8]。沿線となる魚沼・頸城地方は山が険しく豪雪地帯で、交通網の整備から取り残されていたことから、鉄道を整備して利便性を向上させることが悲願とされてきた[7]。また、東京と北陸地方を短絡する経路を構成して時間短縮を図ることも可能とされた[9]。なお、改正鉄道敷設法別表55ノ3では北越北線に続いて「及松代附近ヨリ分岐シテ湯澤ニ至ル鐵道」が規定されており、この「北越南線」とルートを巡って「南北戦争」と称される激しい争いが繰り広げられたが、最終的に北線の建設推進で一本化が図られ[10]、1964年(昭和39年)9月28日に工事線への昇格と基本計画の設定、工事実施計画の指示が行われて、北越北線の着工が決定された[11]。建設を担当することになったのは、日本鉄道建設公団であった[12]。
六日町 - 十日町間は1968年(昭和43年)8月14日に[13]、続いて十日町 - 犀潟間は1973年(昭和48年)3月24日にそれぞれ着工された[14]。この十日町 - 犀潟間の工事実施計画において、「東頸城郡松代町、大島村、浦川原村とずい道にて西進し」と定められ、具体的にはまつだい駅(仮称松代駅)、儀明信号場、ほくほく大島駅(仮称頸城大島駅)と通る経路が設定された[15]。