鍋島直縄
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日本政治家鍋島 直縄なべしま なおただ

生年月日1889年5月6日
没年月日 (1939-04-29) 1939年4月29日(49歳没)
死没地 日本 東京府東京市渋谷区
(現・東京都渋谷区)
出身校東京外国語学校卒業
(現・東京外国語大学
前職佐賀百六銀行頭取
(現・三井住友銀行
称号子爵
配偶者鍋島政子
子女長男・鍋島直紹
親族父・鍋島直大(貴族院議員)
養父・鍋島直彬(沖縄県令)
叔父・鍋島直虎(貴族院議員)
叔父・鍋島直柔(貴族院議員)
兄・鍋島直映(貴族院議員)
義兄・前田利嗣(貴族院議員)
義兄・松平恆雄(参議院議長)
義兄・立見豊丸(貴族院議員)
義弟・柳沢保承(貴族院議員)
義弟・細川利寿(貴族院議員)
義兄弟・秋元春朝(貴族院議員)
義兄弟・宍戸功男(貴族院議員)
甥・鍋島直泰(貴族院議員)
従兄・堀田正恒(貴族院議員)
貴族院議員
選挙区(子爵議員
当選回数2回
在任期間1925年7月10日 - 1939年4月29日
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鍋島 直縄(なべしま なおただ、1889年明治22年〉5月6日 - 1939年昭和14年〉4月29日)は、日本政治家実業家華族子爵)。旧鹿島藩鍋島家第14代当主。長男は佐賀県知事を務めた鍋島直紹
生涯

1889年鍋島直大の四男[1](次男とも[2])として生まれ、1897年(明治30年)に鍋島直彬子爵の養子となる[2]

1908年(明治41年)に旧制東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)を卒業し、東京外国語学校独逸語本科に入学。1911年(明治44年)に同校を卒業するとドイツ帝国留学した[2]ベルリンを経てドレスデンに移り、1912年10月6日にザクセン王立ターラント林科大学(ドイツ語版)(現・ ドレスデン工科大学)の林学科に入学した[2]林学植物学を学んで1914年(大正3年)3月に修了証書を受け取り、続いてミュンヘン大学の林学科で研究を行なっている[3]

日独戦争開戦前の同年8月12日ロンドンに移り、数か月間滞在した後にアメリカを経て12月24日に帰国した[4]。佐賀百六銀行の頭取を務めた。また、1915年に養父・直彬が亡くなると子爵になり、1925年(大正14年)7月10日に貴族院議員に選ばれている[3][5]1929年(昭和4年)に司法大臣秘書官となり、1931年(昭和6年)に発足した第2次若槻内閣から犬養内閣海軍参与官1936年(昭和11年)の廣田内閣から林内閣では内務政務次官を務めた。1937年には貴族院慰問団として定州に派遣されている[6]1939年4月29日に東京府渋谷区代々木上原の自宅で黄疸のため亡くなり[7]、長男の鍋島直紹家督を継いだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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