凡例鍋島 直宜
時代江戸時代中期 - 後期
生誕宝暦13年2月21日(1763年4月4日)
※宝暦12年2月4日(1762年2月27日)とも
死没文政2年12月23日(1820年2月7日)
改名守三郎(幼名)、直宜
戒名瑞巌院威徳良光大居士
墓所佐賀県鹿島市古枝町
鍋島 直宜(なべしま なおよし)は、肥前鹿島藩の第8代藩主。
宝暦13年(1763年)2月21日、肥前小城藩の第6代藩主・鍋島直員の四男として小城で生まれる。明和7年(1770年)に鹿島藩第7代藩主・鍋島直熙が治茂と改名して本家佐賀藩の家督を継いだため、その跡を継いで鹿島藩主となった。
享和元年(1801年)4月21日、家督を養子の直彜に譲って隠居する。文政2年(1819年)12月23日に死去した。享年57。
表
話
編
歴
鍋島氏鹿島藩第8代藩主 (1770年 - 1801年)
養子問題前
鍋島忠茂1609-1624
鍋島正茂1624-1642
佐賀藩主・勝茂の九男・直朝を養子とすることを拒否。鹿島領返還、以後、旗本。
養子問題後
正茂に代わり、直朝が藩主に。
鍋島直朝1642-1672
鍋島直條1672-1705
鍋島直堅1705-1727
鍋島直郷1728-1763
鍋島直煕1763-1770
鍋島直宜1770-1801
鍋島直彜1800-1820
鍋島直永1820-1839
鍋島直晴1839
鍋島直賢1840-1848
鍋島直彬1848-1871
廃藩置県
更新日時:2019年7月4日(木)16:21
取得日時:2019/08/11 21:46