錬金術
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「錬金術師」はこの項目へ転送されています。小説については「錬金術師 (小説)」を、英語の錬金術師については「アルケミスト」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル スピリチュアリティウィリアム・フェッツ・ダグラス(英語版) 作 『錬金術師』ピーテル・ブリューゲル作『錬金術師』16世紀の錬金術師の実験室。

錬金術(れんきんじゅつ、: alchemy, hermetic art[1]ラテン語: alchemia, alchimia、アラビア語: ??????‎)は、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。『日本大百科全書』によれば錬金術とは、古代?中世にわたって原始的な科学の試行錯誤を行った技術哲学宗教思想実利追求などの固まりとされる[2][注釈 1]

現代英語で「ヘルメース」(hermetic art)は、錬金術を指す[1]中世ヨーロッパではヘルメース哲学が、錬金術や医学伝統などと合わさり広まっていた[4]

錬金術の起源は古代エジプト古代ギリシアに求められる[5]。錬金術は、ヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展した。万物は四元素から構成されていると考えたアリストテレスら古代ギリシアの哲学者の物質観は、中世アラビアの錬金術に多大な影響をもたらした[6]。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパで盛んに研究されるようになった。

錬金術の試行の過程で、硫酸硝酸塩酸など、現在の化学薬品の多くが発見されており[7]実験道具が発明された。17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四元素説を否定[8]アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至った[9]。これらの成果は現在の化学に引き継がれている[10][11]。歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。
語源

語源については通説は定まっていない。

英語の Alchemy(アルケミー)はアラビア語 Al kimiya に由来し、Al はアラビア語の定冠詞(英語では the に相当)であり[12]、この技術がイスラム経由で伝えられたという歴史的経緯を示す[13]。chemyは、
エジプトの地の意の Kham(聖書でもHamとして使われた)から、Khemeia はエジプトの術の意味だという。

古希: χυμ?? : Khumos(植物の汁の意)で、古希: χημε?α : Khemeia は汁を抽出する術の意味だという。

歴史「化学の歴史」、「元素」、および「キミア」も参照
古代ギリシア古代ギリシアの四元素説

錬金術の源は古代ギリシャや古代エジプトに求められる[5]。1828年、エジプトのテーベで古代の墓地からギリシア語で書かれたパピルスが発掘された。これらは現在所蔵する都市の名をとって「ライデンパピルス(Leyden Papyrus)」「ストックホルムパピルス(Stockholm Papyrus)」と呼ばれている[14]。3世紀頃に書かれたとみられるこれらのパピルスには、金や銀に別の金属を加えて増量する方法や染色法が記述されている[15]錬金術で使用されたバン・マリ

4世紀初めのアレクサンドリアの錬金術師、パノポリスのゾシモス(ギリシア語版、アラビア語版、英語版)(ゾーシモス)[16]は膨大な著作を残したとされ現在に残っているものも多い[17]。ユダヤ婦人マリア(英語版、ギリシア語版)は4世紀頃の錬金術師で、密閉した容器に金属片を入れて蒸気を当てるケロタキス(kerotakis)という装置を発明したとされ、今も「バン・マリ」(bain-marie、湯煎)の名で残っている[18]。しかしこの時代の錬金術には賢者の石エリクサーは登場しない[15]
中世アラビア語圏における錬金術詳細は「中世アラビア語圏における錬金術と化学(英語版)」を参照

7世紀にアラビア半島の一角で誕生したイスラームは、その信徒の共同体の支配する地域が短期間で拡大した。支配地域の行政には聖典の言語であるアラビア語が用いられ、のちには支配地域内に豊富に存在した学術書もアラビア語へ翻訳されるようになった。2-3世紀に書かれたヘルメス文書や、4世紀のゾシモスの著作、5-6世紀の新プラトン主義的文献といった、錬金術にかかわるエジプトのギリシア語文献も、8-9世紀のおよそ200年ほどの短期間に集中的にアラビア語へ翻訳された[19][20]:17-26。

翻訳の時代が終わり、9世紀の終わりごろから10世紀の初め頃になると、ジャービル文献[注釈 2]と呼ばれる、著者をジャービル・ブン・ハイヤーンという人物に擬した文書群や、ムハンマド・ブン・ザカリーヤー・ラーズィーというペルシア人の著作群が編纂された[19]。ジャービル文書の実際の著者らはイスマーイール派というシーア派の秘教的分派の信奉者のようであり、文書中にはイスマーイール派の特異な魔術的・数秘術的・占星術的・生物学的考察が垣間見える[19]。ジャービルとラーズィー以後も、イブン・ウマイル(10世紀)、カーシー(11世紀)、トゥグラーイー(12世紀)といった錬金術師が著作を書き、エジプトのジルダキー(14世紀)は先人たちの研究成果を総括する著作を書いた[19]。17世紀後半、オスマン朝の宮廷医師サーリフ・ブン・ナスルッラー・サッルームはパラケルススの思想を伝統医術に導入しようとした[19]


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