錦織圭
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Kei Nishikori


2018年全仏オープンでの錦織圭
基本情報
国籍 日本
出身地 日本
島根県松江市
生年月日 (1989-12-29) 1989年12月29日(34歳)
身長178cm
体重73kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年2007年
ツアー通算12勝
シングルス12勝
ダブルス0勝
生涯獲得賞金25,102,112 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(2012・15・16・19)
全仏ベスト8(2015・17・19)
全英ベスト8(2018・19)
全米準優勝(2014)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏2回戦(2011)
全英2回戦(2011)
国別対抗戦最高成績
デビス杯ベスト8(2014)
ATP杯グループステージ(2021)
キャリア自己最高ランキング
シングルス4位(2015年3月2日)
ダブルス167位(2012年3月19日)
獲得メダル

日本
テニス
オリンピック
2016 リオデジャネイロ男子シングルス

2024年5月8日[1]現在■テンプレート  ■プロジェクト テニス

錦織 圭(にしこり けい、1989年平成元年〉12月29日 - )は島根県松江市出身の男子プロテニス選手。松江市立乃木小学校開星中学校青森山田高校卒業[2]。身長178cm、体重73kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ATP(男子プロテニス協会)が発表する世界ランキング自己最高位はシングルス4位(アジア男子歴代最高位[3])、ダブルス167位。シングルスとしては日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした[4]

2014年全米オープン男子シングルスの準優勝者であり、アジア男子史上初のグランドスラム大会(4大大会)シングルスファイナリスト。また、シングルスとしてはアジア史上初のATPワールドツアー・ファイナルズ出場者。グランドスラムに次ぐ格付けのATPマスターズ1000では4度の準優勝[5]

2008年に18歳の若さで、デルレイビーチ国際テニス選手権で優勝し、松岡修造に次いで日本男子史上2人目のATPツアーシングルス優勝者となった。これまでにATPツアーにおいてシングルスで日本人史上最多の12度の優勝、ダブルスでは準優勝を1度記録。

2016年にはリオデジャネイロオリンピック男子シングルス銅メダリストとなり、テニス競技のシングルスでは男女通じて日本人2人目(ダブルスを含めると3人目)、熊谷一弥以来96年ぶりのメダルを獲得した[6]。また、オリンピック3大会連続ベスト8進出も達成している[7]
ジュニア時代

1989年12月29日島根県松江市に生まれる。初めてラケットを手にしたのは5歳の時。父と9歳になる姉と一緒に雲南市の公園でボールを打っていた。2ヶ月後に同じく雲南市にある加茂町中央公園のテニスコートに通いだす。
小学生時代

テニスを始めてから約1年後、松江市内の「グリーンテニススクール」に入会する。小学4年生の時、中国地方代表として全国小学生テニス選手権大会に出場する。翌年も出場し2回戦で第8シードの選手を破る番狂わせを起こしベスト8の成績を残す。

2001年小学6年生の5月、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センターで行われた全国24名のトップ選手が揃う全国選抜ジュニアテニス選手権大会(選抜ジュニア)12歳以下の部で優勝を果たす。この大会の準決勝では松岡修造が錦織の試合を観戦していた。松岡はリターンゲームでの圧倒的な才能に目を奪われると同時にサービスに悪い癖が付いている短所も懸念していた。選抜ジュニアから1週間後、河口湖湖畔で開催される「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」への招待状が届く。6月のこの日は修学旅行と被っていたが錦織は喜々として参加した。松岡は錦織の苦手とする"表現力のメンタルトレーニング"を敢えて強いた。また、コーチとして竹内映二と小浦猛志が技術指導を行った[8]

7月末、全国小学生テニス選手権大会で5試合すべてストレート勝ちの優勝を果たす。その約10日後全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)でも全試合ストレートの完全優勝を成し遂げ、全国大会三冠(史上5人目)を達成する。2001年11月、錦織にとって二度目の修造チャレンジに参加する。この時のキャンプには松岡の恩師である名コーチのボブ・ブレッドが参加し、練習コートにはテレビ局の取材カメラも密着していた。この衆人環境のプレッシャーの中で錦織は身長差約30cmもある高校1年生に勝利する。年上で大柄な選手に勝ったことは錦織の大きな自信になった[8]
中学時代

2002年10月スカウティングスタッフの推薦を得て盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加する。この時参加していたIMGアカデミーヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、翌年1月MMTFの候補生のひとりとしてIMGアカデミーに二週間の短期留学をする。ここでの適応力・集中力・練習や試合に取り組む姿勢をコーチ陣に高く評価され、最終選考会を経て盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜される。2003年8月末に同じ選抜生2人とともに渡米[9]

渡米した翌月にはテキサス州のジュニア大会ベスト8、ダブルスは準優勝する。12月のオレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝。2004年6月にモロッコのG3ジュニア大会決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフに勝利し優勝。14歳での優勝は快挙と言ってよかった。9月にはIMGの日本人メンバーとともに男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップで三橋淳・喜多文明らと共に日本代表として出場。スペイン戦でペレ・リバに勝利し前年大会では11位であった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。
高校時代

2005年にはジュニアG2の大会で立て続けにベスト4入り。そしてこの頃IMGアカデミーのトップグループに昇格。専任コーチを雇用する[10]。9月、全米オープンジュニアで3回戦進出。10月、大阪市開催の世界スーパージュニアテニス選手権大会ジェレミー・シャルディーに敗れるものの準決勝まで進出。この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。

2006年1月の全豪オープン男子ジュニアではベスト8入り。ダブルスではピーター・ポランスキーと組んで出場しベスト4進出の好成績を収める。3月、京都市で開催されるATPチャレンジャーツアー大会・島津全日本室内テニス選手権大会にワイルドカードで出場。錦織にとって初のツアー大会であった。初戦でロバート・スミーツに敗れるものの初のATPポイントを獲得する。翌週メキシコカンクンフューチャーズ大会には予選から出場しベスト4入り。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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